毎日の出番になりつつある、折り畳み傘。
折り畳み傘の、所在無げな“立ち位置”が嫌いだ。
バッグの中では一つの荷物として存在し、
降るのか降らないのか。
先行きが不安定なのも、また潔が悪い感じがしないでもない。
梅雨の時期は特に困る。
電車に乗れば、長傘のように収まりがよくならず
小さく畳んだ生地が足元に当たり、
先端は床に付く事もなく、足で挟む訳にも行かず、
横に小さな柄の部分をぶらんぶらんと、握りしめる。
真夏には日傘として使うので、毎日バッグに入れ持ち歩く。
バッグに入れて重くなるのも
移動中にセコセコ畳むのも
公共の傘立てにも折り畳みの置き場所がないのも。
嫌い、なのだ。
では長傘にすれば良いと言う意見もあろう。
長傘は荷物になる。
天気予報で「夕方から雨」と言われても
日傘も「便利よ〜」と言われても
なるだけ荷物を増やしたくないのだ。
朝から雨、1日降る、なら諦めて長傘を持つ。
折り畳み傘についているカバーも
「必要なし」と思って何年もカバーは
すぐに捨てていた。
が、最近この考えが覆った。
先日、中学生の娘とその友人とで、お台場まで
電車で出掛けた際、
娘たちは
折り畳み傘を畳み、カバーに入れて、
さらにバッグの中に雨で濡れた折り畳み傘をしまった。のだ。
「あれ?折り畳みバッグの中にしまったの?」
傘カバーの威力なんてアテにしていなかった。
「バッグの中、びしょびしょにならない?」
と言ってみたが杞憂に終わった。
娘はしたり顔で私に
濡れた折り畳み傘をカバーにかけたものを
バッグから取り出し、私に見せた。
そのカバーのかかった折り畳み傘を触ってみた。
驚いた。
折り畳み傘は
全然濡れておらず、それは濡れていない状態の傘と
差異が無かった。
娘の友人も同様にしていた。
長年の固執した習慣や思い込みと言うのは怖い。
今回、中学一年生の娘たちに大切な事を教わった。
濡れた折り畳みはカバーに入れて、バッグの中に。
こんな発想は無かった。
ただでさえ雨の憂鬱な天気に
気分も落ち込みがちになりそうだが、
もしかしたらこんな時こそ
発想の転換だ。
嫌だ嫌だ。と文句を言うヒマがあるのなら
原点に帰り、
傘カバーの存在に気づき、実際に半信半疑でも試してみる。
自分より年下の意見にも耳を傾けたのは
自画自賛になるが、良い傾向だろう。
折り畳み傘の存在が少し変わった。
カバーもこれからは捨てない。
嫌いだったからこそ、気分を上げて好きな柄を選んだのも
背中を押してくれたみたいだ。
雨が降って電車に乗る時は
濡れた傘を畳んでカバーに入れるかどうかは
めんどくさがりの私に出来るだろうか。
まあ、そんな事はどちらでも良い。
他人の言う事は、聞いてみるものかもしれない。
少し嫌いだった折り畳み傘が
これからは
バッグの中で出番を待ち侘びているようだ。