
空き家、介護ロス、推し活、
きょうだいの不仲、30歳になる息子の進路、退職間近の自身の立ち位置、などなど。
50代に刺さるキーワードがぐわっと詰まった長編小説。
妻の実家の空き家問題を軸に、家族のあり方を見つめ直す。
重松氏が空き家を“料理”するとこうなるか!と膝を叩く。
読書中の電車の車内で、うかつにも
思わず「ブッ」と吹き出しだり、目から涙がポロポロ止まらなくなってしまった。
AIの回答では、
世の多くは30代から40代で新築で家を購入する、
平均では40歳前後、そうだ。
意外に「遅め?」思ったが、空き家になるまで約30〜40年はかかる。
住宅ローン、子供の出産、年収の到達点など。
それぞれのタイミングや事情がある。
いずれにせよ
結婚し、子育てをし、子供の巣立ちとともに夫婦二人になり、
そして最後にはパートナーが死んで一人になり。
残された住人が居なくなった時、それは空き家になる。
我が家も、両親が後期高齢者になったあたりから「家どうする?」問題も御多分に漏れず。
「やっと子育てが終わったと思ったら、次は介護か」
周りの会話が、いつしか子育てから介護にシフトチェンジしている。
家族のことばかり?自分のことは?
それでも隙間を縫ってやってのけられる、50代ど真ん中の我々世代である。
否応なしに、ステージが変わる時でもある。
主人公孝夫の妻、美沙が
介護ロスの時に出会った、マダムみちる。
静粛な住宅街にある洋館。
そこでマダムみちるのお茶会に参加する、美沙。
みちるの上品な雰囲気に圧倒されつつも介護ロスを忘れ、のめり込む。
ところがこの洋館もマダムみちる自身もニセモノだった。
それを暴いたのは、一人息子のケンゾー。
売れない役者として活動中、怪我をした足で松葉杖をつきながらみちるの後を追っかける。
とうとうみちるの活動が終わりになるか?!と思ったら
マダムの元で執事をしていたジンボがケンゾーに言う。
P308・・・・・
「みちるさんの気持ちはわかるんスよ、オレらにも。正体がばれたあとは、いままでと同じようにマダムをやるのってキツいじゃないスか」
「だよな‥‥‥」
「でもマダム、やめてもいいじゃないっスか。今度からは、みちるさんのままでやればいいと思いません?だってみちるさんが勉強してきた教養はそのまま使えばいいわけだし、マダムやめちゃえば、魚屋さんの話もできるんスよ」
(中略)
確かにすこぶる面白いだろうというのはケンゾーにも見当がつく。庶民派の商店街で三代にわたって繁盛してきた鮮魚店であれば、話のネタは事欠かないだろう。洋館のお茶会は場違いでも、千歳台のみちるさん宅で麦茶を啜りながら聞いたらさぞ楽しそうだし、どうせなら麦のお茶ではなくお酒でも悪くないし‥‥‥そもそも「場」に負けちゃだめだよな、大切なのは「人」じゃないかよ、と思うのだ。
・・・本文より抜粋・・・・・・
最後に残るのは、場ではなく、人なのだ。
このストーリーでは多くの人物が登場する。
マダムみちるのように
それぞれの立場で「役割」を演じている。
主人公の孝夫もまた然り。
定年間近で空き家メンテナンス業に携っていながらも、
年下のやり手の石神井から、空き家問題についてズバッと言い返すことなく巻き込まれそうになる。
役割としてもっと前に…!とも思うが、そこは重松作品のいいところでもある。
上手くいかないこその人間らしさ、不器用さ、とでもいうのか。
家という舞台で一時代を築き、そこに住まう。
時と人との流れを切なくも温かく描いた傑作。