モノが溢れ、床の見えないお宅を過去に片付けたことがあります。
モノが“層”になっていて
片付けても片付けても床が見えない状態。
やっと下の層に行くと、それまで見えなかった年代物?のテーブルがあったり。
カニさん歩きでやっとこさ歩くスペースだけはありましたが
うず高く積まれたモノたちに自身のエネルギーも吸い取られそうに。
「人が主役であるはずの家が、モノが主役の家になっている」
そのとき強く感じました。
「まだ着られる」「まだ使える」「まだ履ける」
捨てられない人は「モノ」が主人公。
「(年代物で恥ずかしいから)着たくない」「(こんなにたくさん持っているから)使えない」「(足が痛いから)履きたくない」
捨てられる人は「私」が主人公。
わがまま、感覚的、冷淡、に聞こえるかもしれませんが。それでもいい。
それでも捨てられない?
じゃあ、いつまで持っているの?
モノに支配されていませんか?
モノをコントロールできる人に。
モノはモノでしかないのだから。