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2026.01.29良かれと思うことが【クソバイス】になる時

 

 

気心の知れた人と会話する。

 

ふと、会話が途切れ、沈黙が流れる。

 

 

顔を見合わせ、微笑みを浮かべ、沈黙は続く。

けれども、その沈黙さえ自然に会話として成立する。

 

 

 

沈黙を会話で「埋めよう」としていないだろうか?

沈黙になると「何か喋ったらいいのか?」そんなことを考えていないだろうか?

 

言葉で時間を埋めたり、沈黙を破ろうとすることが、果たして必要だろうか?

 

 

人によっては沈黙さえ、心地よい場合だってある。

 

 

言葉に余白を。

空間にも余白を。

人間にも余白を。

 

余白のある人は美しい。

 

 

 

1 クソバイスを出さない

 

片付けの際、ものを手に取り、

「要/不要の判断」「これは自分にとって必要なものか」と思う時間がある。

 

労力を使い、心を使う作業だ。もっとも疲れる時間と言ってもいい。

 

 

この時間こそ、誰にも邪魔されたくないし、邪魔してはいけない。

 

 

 

 

「これ高かったじゃないの」「え?捨てちゃうの?」「もったいない」

他人が言ってはいけない、片付けのNGワードである。

 

家族であっても他人からのアドバイスは、最大の「クソバイス」だ。

 

 

 

 

 

2 こじれる原因

 

なぜ他人が介入すると「こじれる」のか。

 

整理する、というのは、

自問自答の作業の積み重ね、だからだ。

 

 

以前伺ったクライアント宅に、家族以外の第三者の友人という人が訪問したことがある。

 

クライアント、友人、金内の3人での作業になったのだが、

それが、とにかくやりづらい。

 

 

 

クライアントの意向を伺って進めることが、片付けのプロである私の役割なのだが、

その友人が来たことによって状況は一変した。

 

クライアントに確認しようと、物を手に取った瞬間

 

 

「それ、そこに置いた方がいいよ」

「なんでこれ買ったの?買すぎじゃない?」

「なにそれ?捨てちゃえば?」

 

 

彼女の全ての言葉が、クソバイス、だらけだ。

 

 

単なる興味本位で遊びに来た、と言うクライアントの友人。

クライアントの「考える力」を吸い取り、さらには自分の支配下におさめようとさえ見えた。

 

 

これを読んであなたはどう思っただろうか?

 

 

この友人を自宅に呼んだのは他でもない、クライアントだ。

私はその友人の言葉を無視し、クライアントとの会話に集中した。

それでも横から口を挟んでくる、友人。

 

 

もう2度と経験(会い)したくないと、心に誓った。

 

 

 

 

3 引き算の美学

 

整理は一人での孤独な作業である。

一人で行うのがお勧めだ。

見ず知らずの大勢の他人が自宅に来て、土足であなたの心に踏み込むような行為は避けたい。

 

 

けれども、一人ではできない人に、

片付けのプロがクライアントと一緒に「併走」「併歩」する。

 

 

 

 

「整理収納アドバイザー」というくらいだから

「アドバイス」という名の

事実と理想の調整、希望の暮らしの実現に向けての歩き方。についてもそうだが

ゴミの捨て方、家族との調和、収納と人間のバランスなども知見/経験値からお伝えする。

 

 

間違っても

「こうしたらいい」

「こうするのがいい」

「絶対これじゃなきゃダメ」

 

 

これらは、全てクソバイス、と思っているが。

(そもそもこの記事自体どうなのよ?と言う話だ)

もし過去にうっかり喋っていたら、遠慮なくビシッと突っ込んでいいただきたい。

 

 

 

アドバイス、の難しさはこれだけではない。

仕事でもプライベートでも、いつも悩んでいる。

良かれと思ったことがクソバイスになることだってよくある。

 

 

 

口を出さない、努力。

これは努力という名の習慣だ。

習慣は人間を形成する。

 

 

 

さて冒頭の話に戻る。

 

 

会話に余白を作ることが、相手を引き出すことも多くある。

 

 

必要なのは、

足し算、ではなく、引き算、なのかも知れない。