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2026.02.09湊かなえ【母性】ブックレビュー/愛を能(あた)う限り

 

 

ブックレビュー

 

『母性』

湊かなえ 著

新潮文庫

 

 

 

 

1 長く積読中だった

 

母性というタイトルに惹かれ、購入した。

映画化されていたものは観ていない。

 

通勤の電車の中で読んだ。

読み始めて30ページあたりで、

正直なところ「面白くないな」と感じてしまった。

 

一見「綺麗な物語」に感じたからだ。

 

 

主人公の私、は神父様に懺悔する。

清らかな心を持った私が罪を乞うところから始まる。

一貫して「です」「ます」調の言葉で、母との会話もはみ出していない。

このまま最後まで、うまく収まってまとまるのか?

期待をしていただけに、少し気持ちが離れた。

 

 

そこで、一旦家の棚に“積読”して、時期を見て次のタイミングを待った。

 

で、今日だ。急に思い出して読んだ。

 

 

 

 

 

2 母と娘の関係

 

久しぶりに、ページをはじめから開く。

冒頭からの母娘のやり取りを、少しだけグッと堪えて読み進める。

随分前に読んだのに、当時読んだ記憶を元に脳内の映像が浮かんでくるよう。

 

 

いやいや、、これは。。違うぞ。

急に、この物語の面白さに気づき始める。

 

綺麗に描かれているようで、本質的な

私と娘の「愛のあり方」の綺麗でない、食い違いが描かれている。

 

 

娘を愛していると主張するも、その思いは娘には全く届いていない。

それどころか自分は愛されていないと思う、娘。

 

 

読書中、ずっと気になっていたことがあった。

一人娘である名前が、最後の最後あたりになってようやく明かされるのだ。

それまで「おや?」と思って何度か遡って読んだりもしたが、娘の名前は明かされていない。

 

 

p307・・・・・・

 

私は娘の手を握りしめ、彼女の名前を呼びました。

「清佳(さやか)!」

叫びながらふと思いました。この子の名前は清佳だったのだ、と。

 

・・・・・本書より引用・・・・

 

 

こんなこと、思う?

いくら姑が娘の名前を無理くり勝手に決めたからって言っても、こうはならないだろう。

 

 

「親だったら、母だったら」「フツーだったら」と枕詞をつけて、

「いやーーそうはならないだろう」って、やはり突っ込んでしまう。

 

 

でも、この物語の一番の主張はここにあるような気がしてならない。

 

 

 

 

 

3 美しい家庭よりも

 

世の「母親像」に縛られて

いい妻、いい母、でありたいと願う。

 

夫の家族にも使用人のような扱いを受けて、家事や畑仕事や母の介護やら。

我慢ばかりを強いられながらも、逞しく生きようと奮闘する。

こんなに振り回されている母、っている?

 

 

実は母を助けるのは、他でもない娘だ。

唯一の理解者と言ってもいい。

しかし、きっと娘自身そのことさえ気がついていないだろう。

 

 

娘を愛せない後ろめたさ、からか、

『愛を能(あた)う限り』という

フツーでは到底表現しない、言葉で

『娘を大切に育ててきました』と愛情表現する母。

 

 

ああ、なんて、おめでたくも不器用な。

 

 

 

刺繍のついたハンドメイドのバッグよりも、

美しい家に住まうことよりも、

母として清く生きようとすることよりも、

 

 

 

子どもの手が荒れていたら、

ハンドクリームをつけて、手をさすってあげ、

子どもの名前を呼ぶだけ、でいいのかもしれない。

 

 

 

一度は読まなくなった理由も、読み終えて最終的には納得した。

 

 

見せかけで綺麗なもの、よりも大拙なこと。

言葉や表現などは、いくらでも記憶の上書き、ができる。

いがみあっている親子関係だって、いつしか過去を修復できるはずだ。

 

 

そんな希望がある小説だった。

 

 

これが私なりの、母性、としての解釈だ。