
「ファッションとは苦痛を伴うものである」
確か
ファションデザイナーの
故ヴィヴィアン・ウエストウッドの言葉だったと記憶している。
衝撃的だった。当時私が20歳頃のこと。
高いヒールも、締め付けるウエストも、ファションなのだ。と理解した。
普段はスニーカーの人が結婚式の参列などで、
またある時は
歩かなければならない状況で窮屈さに泣いた女の人はいないと推測する。
何も偏ったM体質の考えを押し付けるつもりはない。
けれどあれから30年経った今でも、頭のどこかにそれはかすめる。
「ブラトップは着ない」
「これは体型を崩すから」
以前クローゼットの整理をしている時に
クライアントから伺った、これまた(私の中で)衝撃的な言葉だ。
もう何年も前になる。
道ですれ違ったら女の私でも振り返ってしまうような、ハッとするような美しい人。
頭からつま先まで完璧。とはこのこと。
スタイル維持のためにジョギングをしている。
ジョギングは、ワイヤー入りのブラジャーは、苦痛か?
いや、そうではない。と思った。
それ以上の価値があることがわかっているから「楽を選ばない」と言うことだろう。
説得力のある彼女の言葉に、少しでも近づきたく
ジョギングはしないが、ここにきてもなおブラトップは着ていない。
間違っても
ブラトップを悪く言うつもりはない。
けれど、“楽を追求する”と自分にしっぺ返しがくるような気がするのだ。
逆に“美を追求”しすぎると、それもまたおかしなことになる。
ちょうどいいバランスで過ごしたいものだ。
この夏も暑くなる。
毎年のように
ブラジャーにエアリズムのキャミソールorタンクトップを着て過ごす。
人の2倍はかく汗っかきのなので、仕事で大汗をかき風呂場であせもを発見することもよくある。
どんな機能性インナーを着てもあせもはできる。
歳を取れば体型は崩れる。
崩れても姿勢だけは気がついた時にいつでも直せる。
選んで生きていく。
そんなことを思いながら酷暑の夏を過ごすつもり。
ファッションに興味のない夫が靴を買った。
これまで安い靴を「いかに得したか?」で自慢気に私に話すほどの人だ。
そんな夫が今回選んだのはSALOMON(サロモン)のスニーカー。
知っている?私は知らなかった。
帰省した時に玄関三和土にあった長男の靴を見て、一目で欲しくなったらしい。
トレッキング用としてなどの実用性もありながら、どんなシーンにも順応できる黒い靴が欲しい。
とのことで「履かないとわからない」買い物にも付き合って、購入した。
彼のこだわりとして、少しきつめに履くのがいいそう。
そのため、履く時は靴べらが必要だ。
「キュッとしまって、不思議と歩くと軽快になる」
これまでとは違う感触に感動をしている様子。
そりゃそうだろう。今までのは選んだうちに入らない。
クタクタに疲れた1日を癒すのは
お風呂でもなく、炭酸で割ったジュースでもなく、
自分で納得して選んだ、歩きやすいスニーカーだった。