
もらって嬉しいプレゼント?
人とのコミュニケーションのツールとして
確固たる存在の、贈り物。
贈り物で悩んでいないだろうか。
自分が贈る立場でも「何にしようか?」悩ましいし
いただく方もまた「困ったわ。趣味じゃない」悩ましい。
片付けの現場でも
「手放すのに困る物」上位にくるであろう、
人からの贈り物。
挨拶がわりの手土産として、
デパートに行き、連なる店のショーケースを眺めながら
何度もぐるぐると往復して、箱に入ったお菓子を選ぶ。
こんな事は日常茶飯。
相手の好みが「粒あんが好き」まで分かっていれば
和菓子店に直行して決められる。
けれど、関係の浅い相手に贈る、となると、
好みがわからずに、
大抵は無難に焼き菓子詰め合わせを選ぶ。
ご家族がいればシェアできるし
何より期限が来たら「処分」できる。
食べて喜んで欲しいが、口に合わなかったら
しょうがない。
さらに、時期が過ぎたら捨てる事も躊躇しなくて良い。
消えモノ、とはよく言ったもの。
形が残る物は、
先方のお宅に(期間は人それぞれだが)居座ると言うこと。
本当に欲しいものは、自分で買う。
相手が私の欲しい物など知る由もなし。
また、こちらからねだる様な可愛げのある女ではない。
ちなみに夫からの“本気のプレゼント”はここ15年以上無いような気がする。
ウケ狙いで“要らない物”を贈るほど仲が良ければ、それはそれでいい。
けれど年を食った私たちは、笑って許せる。そんなエネルギーもなくなってしまった。

人さまからの贈り物90%の物は、喜んでいただく。
片付けで発見された、使わないバッグ。
手伝いのお礼にと、冷えたジュース。
自宅で採れたからと、野菜たち。
「似合うかな?」「味が好みではないが」「こんなに大量に」と一瞬頭をよぎるが、
“物”と“気持ち”は別もの、だ。
物に罪はない。
気持ちをありがたく受け取り、
似合わないと判断した物はリサイクルショップに。
好んで飲む家族にバトンタッチし。
使いきれない野菜分は、近所のママ友にお裾分けする。
コミニュケーションのツールである、贈り物。
物選びの難しさは、誰しもが痛感する所ではあるが、
それにしても、
“本当に嬉しくない贈り物”は、この世に存在する。
こちらの都合を無視し、執拗に送りつける物。
相手の自己満足の塊、のような物。
相手から「支配」を感じさせるような物。
は、
「要りません」とハッキリ断りたい。
先日も
私の好みを知らない相手から大量の“余り物”を譲ろうとし
最初はやんわり断ったが、それでもなお「押し付け」る。
帰り道の電車の中での荷物の多さなど想像しない配慮の無さに、
「もうこの人と付き合うのやめた」
と、無言で縁を切った。
そのくらい、贈り物(この場合は贈り物ではなく押し付けだ)は、センシティブなもの、なのだ。
最後に。
断るにしても、一刀両断しないで
「ありがとう!気持ちだけいただくわ」
軽やかに、にこやかに、
相手との関係を構築する方法が
一番スマートな“気持ちの整理”だろうか。
それが、いつも出来れば良いんだけどね。