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2026.02.285分も待てない【駅ホーム】恥ずかしい行動

 

 

 

電車のドアに挟まれた。

 

 

 

発車する直前の、閉まりかけた電車ドアと、ホームドアの2つのドアに挟まれた。

肩が痛いやら、恥ずかしいやら、乗り損ねた自分が惨めになり、

落ち込みながら居場所を探すようにホームをウロウロして、次の電車を待った。

 

 

次の電車まで

たった5分、である。

 

 

1 挟まれるおばさん

 

特に急いでいたわけではない。

欲が出た、または魔が差した。とでも言うか。

 

 

駅の階段を降りるとタイミングよく、

ホームに電車が到着している。

「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」アナウンスはあったはずだ。

ギリギリだが、目の前のドアに滑り込めば乗れたはずだ。

 

 

だが、そのドア付近の車両にはドア付近まで詰まった乗客がおり、

乗車することを躊躇してしまうほどの、混雑状況。

隣の車両を見ると、ドア付近に人がおらず、わずかに空いている。

 

「隣の空いている車両に乗りたい」

 

 

そちらに注意が行った。

一瞬の気の迷いがあった。

混んだ車両はそれだけでストレスだ。

 

 

だから、と言うわけではないが

ドアが閉まることの自覚がなかった。

「乗れるか?!どうだ?」と賭けの気持ちもなかった。

 

 

ふわっと飛び込んだその瞬間に

観音開きのドアが、両方から私の体を挟んだ。

 

 

 

2 シスター渡辺和子氏の言葉

 

『置かれた場所で咲きなさい』

渡辺和子 著

幻冬舎

 

 

この本の一節が、

当時読んだ10年前から現在でも頭に残っている。

 

手元に本はないので、うろ覚えだが、

 

 

シスターでもある、著者の渡辺和子氏は

 

・・・・・

毎日乗るエレベーターの階ボタンを押した後に『閉』のボタンを押している自分に気がついた。

自然に閉まるはずの『閉』ボタンを、

 

たった4秒という時間を、“待てない”のだと。

 

・・・・・

 

と言う内容だったと記憶している。

 

 

この本を読んでから、「ハッと」し、自分への戒め、として

これまでとこれからの、自分の行動を見直したのは言うまでもない。

 

 

 

 

3 俗世に生きる

 

なるべく穏やかに生きたい。

と日々願う。

 

で、この結果(ザマ)だ。

 

 

目の前の電車に乗るか、それとも次の電車を待つか。

 

 

こんな一瞬の判断さえも、狂う時がある。

 

 

 

徒歩で歩いていると

横断歩道の信号が赤で、左右から車も来ない。信号の先に人もいない。

 

「渡ってしまおうか?」

 

白状すると、

早足で信号無視して渡ってしまうことも、未だにある。

 

時間がないわけでもないのに。

たった1分が待てない、のだ。

 

 

ただ、“条件が揃って”いても、渡らない時も、ある。

お巡りさんが近くにいる時、だけでなく

子供と一緒の時は渡らない。

自分の子だけでなく、赤の他人の子でも、そう。

 

 

「ママ、信号赤なのに渡っている人がいるよ」

 

他人の信号無視を目撃した、手を繋いでいた小さな娘に言われたことがある。

恥ずかしいけれど「ママもそうなのだ」と声には出せず、胸が傷む。

 

 

いつから信号無視するようになったのだろう。

きっと大人になってからだ。

 

 

そう言う我が一番下の子も、中学生。

大人になりつつあり、

社会の汚れた部分を“学習”しているところ、だろう。

 

 

子どもに、ガッカリされたくない。

 

 

十分恥ずかしい大人であると自覚しているが、

「こんなことも出来(待て)ないのか?!」と自分を律することくらいしかできない。

 

 

 

急がば回れ。

 

 

今回の件をきっかけに、胸に刻む。