先日、中一の娘と歯医者の待合室で雑談した。
彼女が好きな声優について
「同じ校内で(娘と)気の合う子とかいないの?」
と聞いた。
「いるよ」と娘。
続けて
「同じ美術部で同じ学年なんだけれど、名前を知らないんだ」
ええっ?名を知らない?
中学入学から5ヶ月。
部活動自体はゆる〜〜い部活、だが。
それにしても。。
けれど、そうなった理由はすぐにわかった。
卒業した3人の兄たちと同じ中学の娘。
すぐ上の、4歳離れた三男まではジャージに「名前ゼッケン」「名札」を付けるのが
ルールだった。
それが娘の入る今年4月から「名前ゼッケン」「名札」を付けないルールに変わった。
アイロンでジャージに貼り付けるそのゼッケンは、
親の入学前の手間を省くだけでなく、
「防犯上」の理由で名前を世に知らせないため、だとか。
登下校もジャージが多く、不審者に名前を呼ばれない/覚えられないため、だろう。
なるほどなあ、と思った。
しかし、娘は
どのタイミングでその友達の名前を知ることになるのだろう。
「私の名前は」なんて話の中で突然、言うのだろうか?
これまで散々好きな声優の話で盛り上がって置いて。
改めての自己紹介などするはずないだろうし、など
昭和の母、余計な事まで考えてしまった。
入学後まもなく、娘の中学校の授業参観があった。
我が家の長男(22)と歳がそう変わらない、担任教師の授業。
明るいムードで教室はテンポよく進んでいた。
中でも感心したのは、担任が生徒たち一人一人の名前を覚えており、
しっかりと名前を呼んでいた事だった。
席次表を、机の中や手元に隠し持っていたようにも見えなかった。
参観後の保護者会で発言した。
「入学後まだ2週間余り、先生が生徒一人一人の名前を覚えて呼んでおられるのは感心しました」と。
嬉しそうに照れながら、担任教師は
「名札が今年からルール上無くなってしまい、実は苦労しているんです。
廊下などでも生徒から声をかけられるものの、誰だろう?と思いながら、
会話が終わった瞬間に、こっそりと上履きの踵に書いてある名前を読んで、それで覚えるんですよ」
教室内の保護者たちの、感心の嵐と、同情?が芽生えた。
涙ぐましい努力だが、
それにしても、教師も苦労していることがひしひしと伝わるエピソードだった。
先日、近所のコンビニに行った。
知り合いがパートをしているので、少しばかりの挨拶をしながら会計する。
彼女の胸元を見ると、以前までは名前だったネームプレートが「STAFF」に変わっていた。
最近ではスーパーや商業施設などでも、
「名前」の代わりに「STAFF」表示を目にする機会が増えてきた。
どうやら、カスタマーハラスメント対策だとか。
クレーマー客に名前を覚えられては後々困る、という理由だろう。
令和のこの時代。
自分の名前を覚えて欲しい、などと言う
自信過剰な人?は少なくなってきているのかもしれない。
名前を知られないメリットも理解しているつもりだし、これでスムーズなのは結構。
出先の買い物で、笑顔で対応しているパートの方の名前を知りたいと思うのは
私の身勝手だろうか?
なんなら、そう言う人には「お客様の声」にも投書して
小さな世界ながら、彼女/彼らの名を世に知らせたい。
担当者のつく買い物でも「〇〇さん」と店員の名札をチラ見しながら、
下心丸出しで話すこともある。
ああ、君の名は。
時代に合わせて価値観が変わっていく。
そしてまた、人間も変わっていくのだろう。