
「お父さんって偏見傾向があるよ」
「昔からそう言うのは、あった」
夫が、私に言った。
月に一回、私の両親の顔を見るために帰省する
帰り道の、車の中での会話だ。
夫の観察眼に驚いた、と言うより
娘として50年以上父との付き合いがあってもなお、目を背けていた事実に何も言えなかった。
事の発端はこうだ。
実家にて
夫が別室でオンラインの仕事をしている際、
母と私がリビングで話をしていた。
その時は父も同じリビングに居た。
子供たちの事を母と話していたら
突如、父が子供の今活動している事について
「〇〇はダメだ」「そんなものはやめろ」と偏見差別を含んだ言葉を、
何度も私に浴びせてきた。
反論はしたが、ちっとも動じず。
父の偏見で子供の夢を潰されそうになる、、許せない。
ここに子供がいなかったことが幸い。
どうしても怒りが消えない私は、夫に事情を話し、
「じゃあ手紙で懲らしめてやれば?」と提案された。
手紙は良い。
何が良いかって「一方的」だからだ。
会話だったら、ああ言えばこう言う。
言葉のラリーがあるが、手紙はない。
こちらの言いたい事だけ、伝えられる。
送って反応があるまでに
タイムラグがあるのもまた、良い。

相手は80にもなる爺さん、だ。
感情をぶつけるにも
「紙」が持つある意味、
冷たく平たいメッセージのほうが
より強力ものになるだろう。
兎にも角にも
自分の中で「整理」されていない事が、気持ち悪く
思いの丈を綴った。
PCで打ち込む。
冷静にも
1000文字あたりが読んでいて疲れず伝わる文字数だろう、とか。
父の事を「あなた」と呼ぶ事で距離を保てる、とか。
あった事実を疑問形にする事で“自分ごと”になるか?とか。
考えながら、消したり打ったりを繰り返す。
熱が冷めやらぬまま一気に
“ギャフン”と言わせるような、文章だけは作った。
言いたい事を言えず悩んでいないだろうか。
よく「他人は変えられない」「自分が変われば良い」
と言うが、怒りが収まった試しがない。
離れる事も一案だが
近しい関係ほど、よく見えない。
離れる事さえも思い浮かばない時もままある。
夫が冷静に父を「偏見傾向がある」と言ったのも
他人だからよく見えるのだ。
だから手紙と言うツールで、気持ちの整理を。

手紙を書き慣れていない方のために
少しの今回の手紙の開示と、僭越ながらアドバイスを。
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✒️冒頭一文
「日曜日に帰った時、どうしても許せない事があり連絡しました。今後の関係を見直したいと思っています」
(中略)
✒️末尾一文
「あなたは私にどうしたかったのか、いまだにわかりません
50を過ぎた娘である私を“支配”をして何が楽しいのでしょう。
孫にまで、その“支配”の矢が向けられないように
私は子供を守る、だけです。
親より、何より子供たちと夫が一番大切だからです。
もう2度とあなたたちには会いたくありません。
借りていたものは少しつつお返しします。
文面にて失礼します。
朋子」
・・・・・・・・・
攻撃するなら、“その人”よりも、その人が取った“行動”を。
夫に書いた手紙を見せた。
“返さなればならない”金額を具体的にするためにも。
もう2度と会わない、と表明はしたものの。
一方では、そうもならんだろう。とも思っている。
そこまで父を嫌いになれないからだ。
さあ、
とっとと投函して相手の出方を見てやろうじゃないか。
構築のために、破壊するのだ。