
「尊敬する人は母です」
あるドキュメンタリー番組の一幕。
隣で一緒にテレビを視聴していた夫と思わず顔を見合わせた。
そのテレビカメラに発言した、うら若き20代の男性。
小学生ならともかくも
成人して結婚してもなお、親のことを「尊敬」かあ、、
ディスるつもりはない。なんなら
親子関係のことは、とやかく言えた義理ではない。
夫もまた同じ気持ちだったようだ。
だれしも小学生の頃
「尊敬する人は?」と質問されたことがあるかと思う。
この言葉を聞くたびに、思考がフリーズする。
全く答えられない。小学生の当時はテキトーに“親”と答えていたかもしれん。
尊敬する人は、これまで誰一人としていない。
私が無知なだけで、思い浮かぶ人がいない。
これまで出会った人たちの中でも、素敵な人は沢山いる。
でも尊敬とは違う。
尊敬とは・・・
相手の人格や行動・能力などを高く評価し、「自分より上だ」「見習いたい」と感じて
敬意を抱く心のあり方です。多くの場合、憧れや感謝、信頼が混ざった、相手そのものを思う感情を指します。
・・・・・AIの回答・・・・・・
例えば
仕事の先輩に、“こうなりたい”と憧れを抱くのも「尊敬」かもしれないし、
歴史上の人物を「尊敬」も、推しを「尊敬」と言う人もいるだろう。
もしや単に「年上」だからって間違った“敬い方”をしている人はここにはいないことを信じる。
人が人を「尊敬」することは、その人のアイデンティティでいい。
けれど
我が子には少なくても、「尊敬されていない親」であることは確か。
自分たちの親の悪口を、
夫と話していて盛り上がることがある。
子供時代に親に連れて行かれたレストランで
家では無口な父親が店員に「おすすめは?」とか、知ったかぶりでその地域の話題を振ったり、
本当に聞きたいことではない(子供にも見透かされている)のに
無理して背伸びしているような馴れ慣れしく接している「大人」である親の態度なども、
「あれはダサいよね」と笑われる始末だ。
で、自分たちが歳を取ったらどうだ。
店員に少しでもポイントを稼ぎたい自分がいる。
ちょっとした事でも話しかけたり、メニューの説明におおげさに反応したり。
「おいしかったです!」「また来ます!」満面の笑みで承認欲求を満たそうとしている。
親のことは言えない。
まったくだ。やれやれ。
人間に上も下もあるもんか。
いつも思っている。
尊敬する人がいないのはそのせいだ、きっと。
では、
子供は未熟で、親が偉いのか?
子供が小さいうちは確かに未熟だが、成長するとそれは逆転する。
自分が老いることで、できないことを痛感し、だんだん小さくなっていくのを感じる。
最近は「すみません」「おっしゃるとおり」が増えた気がする。
子育てのあり方も随分と変わった。
子育て期がまだ浅い頃は、つっぱって生きていた。
「親である私がしっかりなくちゃ」と。
もしかしたら尊敬されたかったのかもしれない。アホか。
子供を無駄に叱りまくっていた頃もその頃だ。
しかし突っ張って育児していても、そんなものはすぐ崩壊する。
「んなもん、できるか!」
自分自身に一回キレて落ち込んだ。
そして
ポンコツを笑いにした瞬間から、子供との関係が変わった。
「バッカだよね〜。ママって」自虐を
子供達は呆れながら、半ば聞いているのか、聞いていないのか。
あなたは尊敬する人は、いるだろうか?