
義母が亡くなって3週間。
昨日は元気のない義父を励ましに
歩いて10分ほどの実家に、私たち夫婦と娘(義父にとって孫)の3人で訪問した。
義母が亡くなった直後というもの、
葬儀の準備から各種契約解除などの手続きをはじめ
その間、
遠方にあった墓じまいも同時進行で考え、近所の納骨堂へ永代供養することも決めた。
(つまりは、これから来る義父や私たち夫婦の墓もそこに入るか?という算段)
悲しむ暇などないくらいに忙しかった、と想像する。
ドアを開けた瞬間から、義母の声が聞こえてきそうな明るい雰囲気は消え、家の中が暗い。
まるで空気が澱んでいるよう。
案の定、落ち込んでいた。
それもそのはず。まだ3週間である。
60年間連れ添った妻が亡くなったのだ。
それは突然だった。
昨日まで元気だった妻が、朝起きないから起こしに行ったら、すでにベッドで亡くなっていた。
だれがこの瞬間を想像しただろうか。
しかし、
年配の方たちに義母の亡くなった話をすると
「いい逝き方だったね」とも言われる。
何年も何十年も病床で過ごしたわけでもない。
病気もあったが、最悪の状況に進行することなく子供である私たちが苦労した覚えはない。
このタイミングか、と義母の“はからい”を感じずにいられない。
生前、義母は今年に入ってから2回ほど盲腸で入院した。
二人暮らしだった義父も一人きりになり、
今ほどではないが、その時も落ち込んでいた。
何といっても
特にこれまで義母まかせだった
家事をやらない、THE・昭和の男である。
退職後には、食器洗いと掃除はできるようになったが
洗濯機の電源ボタンを押すことから教えた。
「お義父さん、このボタンを押せば洗濯機は動きますよ」
ここから義父の家事は始まっていたように感じる。
男やもめ、なんて言葉があるように
先に夫が亡くなった後の、妻の回復力の強いイメージとは裏腹に
先に妻が亡くなった夫の落ち込みようは、、と。
「やっぱり男一人で生きるのはつらいなぁ」
「俺も早く妻の元に行きたい」
義父の言葉である。
落ち込む義父にこちらもかける言葉を探すが、なかなか見つからない。
酒を飲みながら、涙ながらに、しみじみと妻との思い出を語る。
そんな中、突然義父が
「洗濯物って楽しいなぁ」
と言った。
へ?今、お義父さん何て言った?
洗濯物、楽しい、ですって?!
1週間に一回、日曜日に洗濯物をはじめた義父。
早く寝て、心躍らせながら朝に洗濯物を干す、とのこと。
自分の着た衣類を洗い、干して、取り込む。
たったこれだけのことなのに、楽しくてしょうがない。
楽しい、、かあ。
家事ってすげーー。
家事って、毎日を整えるものだと改めて思った。
悲しい時も、嬉しい時も、いろいろあるけれど
淡々と、けれども回復力を見出すもの。
日々を紡いでいくのはやはり家事の力、なんだろうな。