
あまたの、家事術や家事テクニック、など。
家事の情報に「溺れて」いないだろうか?
真面目な人ほど「ちゃんとやらなきゃ」と意気込むが、
うまくいくもの、そうでないものがあると思う。
また、時間経過とともにライフスタイルが変わったり、
子どもの成長とともに家庭内の家事の状況が移り変わる。
父はゴミ出し、子供は食後の皿洗い、私は、、と
家族間で、家事の役割分担をする。
最初は守るが、すぐに崩壊する。
いつも在宅する時間が同じ、とは限らないからだ。
しかも家族全員が、となると、スケジュール調整は誰がするんじゃい!
「朝練が」「残業が」「塾が」と、
自分だけでなく何かと家族だって忙しい。

タイミングを待てるのなら、いい。
けれど、待つほど家事の細かい作業は待ってくはくれない。
シンクに溜まった山になった食器を横目で「当番」を待つほど寛容な私ではない。
イライラするのが関の山、なのだ。
誰がその家事、引き受ける?
「なすりつける」ために分担したのではない。
当たり散らす前に自分がやってしまう方が、精神的に楽だ。
「使ったものは元の位置に戻す」
ごく、当たり前のこと。
私には子供が4人いるが、
特に上二人に関しては
「おもちゃはこの棚に」
「トランプはこの箱に」
「学習の時間は何時から、このページをやりなさい」
ルールに縛られていかに窮屈な家庭だったか、あなたにも想像ができるだろう。
三人目からはルールなんて言ってられなくなった。
それよりも、自分が決めたルールさえも守れない自分に「気がついた」
苦手な人が前から歩いてきたら、知らん顔をして挨拶をサボる、
子どもには制限をしていたスマホだが、夜にも朝にも布団の中でスマホを見る、
子どもを前に「できる親」を演じ、虚勢を張る。
できないのは、私だ。
こんな恥ずかしい親が、子どもにルールを説けるだろうか?
偉そうには言えないが
ルールは作るものではなく、身につけるもの。

母から言われなくても、
自ら
参考書は机の上に立てて並べ、
不要なデスクライトはクローゼットの中に仕舞い、
棚にフックをつけてバッグ収納を作ったのは、
ルールを一切強制されていない、三人目の子ども、だ。
ルールを強制すればするほど、自立を奪う。
じゃあ、どうするか?
虚心坦懐、できない自分を曝け出そう。
お手伝いをして欲しい?
もしそれを願うのなら、頼もう。
「今電車の中。帰りが遅くなるから、洗濯物畳まなくていいから取り込んでおいて」
状況と具体的な内容をセットして。
子どもは自分の世界がある。
子どもは洗濯物のことなど、常に頭に入っていない。
何度も同じことを繰り返し伝える。
「洗濯物を取り込んでおこうか?」子どもから一度も言われた事がない。
もし、そんなこと言われたら逆に「え?!どうした?何かあった?」と不安になる。
それでいいのだ。
やらされた感でやったものは、当然身につくわけがない。

お互い
淡々と、暮らしていくのだ。