
先日、高校2年の三男の机の上に
現代文の参考書があり
三男の机の上を見た夫が
「あなたいつも本読んでいるんだから、どのくらいの実力があるかやってみたら?」
と私に言った。

意地悪な夫に逆らいながらも、「試しに、、やってみる・・?」と心が動いた。
参考書内の小説から出題された問題。
これだったら自分に出来そうな気がした。
記述式の質問が6問。
文章を読んで、文章の中から解答を導き出す、というもの。
思った通りか、舐めていたのか、
解答しながら頭の中は小さなパニックを起こし、全く歯がたたない。
答え合わせをしたら、見事に全滅だった。
擦りもしない的違いな解答に「ああ、やっぱりね」と納得した。
大学受験のための文章読解とはいえ、ここまでひどいとは。
もう、笑うしかない。
私は高校時代、偏差値40だ。
いわゆる“底辺高校”にいた。
底辺のことを語るには、底辺を経験しなければ語れない。
自分が居たからこそ、底辺と言われる所以も理解しているつもりだ。
なぜ底辺なのか?
全てが当てはまるとは限らないが、
お聞き苦しいのを承知で
底辺にいる人にありがちな傾向を言う。
・粘り弱い
・依存心が強い
・人や環境に左右されやすい
・(理性より)感情優先
・目先のことだけしか興味がない
など、多くある。
学力と何の関係も無いと言われそうだが「関係はある」と断言する。
冷静に自己分析し、目先の結果に惑わされず、人や環境のせいにしない。
そんな学習態度が学力を上げる。
反面教師か幸いにも
私の遺伝子を受け継がなかった子供達を見てわかったことだ。
底辺の高校で過ごした3年間は、さぞかし腐っていた?
意外にも、そんなことはない。
現代文の授業の時、
武者小路実篤の『友情』の感想を、唯一クラスで読み終わった私に先生は指名した。
確か感想はこうだったと思う。
「昔の話だからと先入観を持っていたが、読んでみたら意外にも面白く現代にも通じるテーマなので
ぜひみなさんも読んでみてください」みたいな内容だった。

私の話を興味がなさそうにしている同級生もいたが、その中でも頷いてくれる人も何人かいた。
ある時「あの時の感想を聞いて早速読んでみたら本当に面白かった!ありがとう」
一人の同級生がわざわざ声をかけてくれた。
30年以上も前の話である。
当時のことを鮮明に覚えているほど嬉しかった、原体験だ。
一見腐りかけそうな高校時代だったが
人に喜ばれることで得られる体験を、その時初めて知ったかもしれない。
確かに今だに勉強アレルギーは治らない。
特に娘には「中学の時、数学のテストで17点を取った」話をすると、
彼女のテスト前の緊張もほぐれ安心感を与える、という笑い話にはなる。
それだから、17点が底辺か?
本当にそうだろうか?
ここで1に戻りたい。
偏差値や学力だけでは、計り知れないものも実際にはある。

粘り強さだったり、冷静さだったり、目的意識だったり。
学習以外でも力を入れることはできる。
例えば
仕事やボランティアや好きなこと。
人に喜んでもらったこと。
人から感謝されたこと。
人を助けた経験など。
経験という価値が答えになる。
これまで積み重ねてきたものは絶対的にあなたを強くする。
腐らないためには
自分のやってきたことを「底辺扱い」しないことだ。
一部から底辺と揶揄される環境にいたとしても、
決して、断じて、人として「底辺」ではない。
生き方を誰が決めるのだ?
他でもない、あなたしかいない。