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2026.03.27偏差値40からの【底辺】を生き抜くヒント

 

 

 

先日、高校2年の三男の机の上に

現代文の参考書があり

 

 

三男の机の上を見た夫が

「あなたいつも本読んでいるんだから、どのくらいの実力があるかやってみたら?」

と私に言った。

 

 

 

 

意地悪な夫に逆らいながらも、「試しに、、やってみる・・?」と心が動いた。

参考書内の小説から出題された問題。

これだったら自分に出来そうな気がした。

 

 

記述式の質問が6問。

文章を読んで、文章の中から解答を導き出す、というもの。

思った通りか、舐めていたのか、

解答しながら頭の中は小さなパニックを起こし、全く歯がたたない。

 

 

答え合わせをしたら、見事に全滅だった。

擦りもしない的違いな解答に「ああ、やっぱりね」と納得した。

大学受験のための文章読解とはいえ、ここまでひどいとは。

もう、笑うしかない。

 

 

 

私は高校時代、偏差値40だ。

いわゆる“底辺高校”にいた。

 

 

 

 

1 底辺と言われる所以

 

底辺のことを語るには、底辺を経験しなければ語れない。

自分が居たからこそ、底辺と言われる所以も理解しているつもりだ。

 

なぜ底辺なのか?

全てが当てはまるとは限らないが、

お聞き苦しいのを承知で

底辺にいる人にありがちな傾向を言う。

 

・粘り弱い

・依存心が強い

・人や環境に左右されやすい

・(理性より)感情優先

・目先のことだけしか興味がない

 

など、多くある。

 

 

学力と何の関係も無いと言われそうだが「関係はある」と断言する。

 

冷静に自己分析し、目先の結果に惑わされず、人や環境のせいにしない。

そんな学習態度が学力を上げる。

 

反面教師か幸いにも

私の遺伝子を受け継がなかった子供達を見てわかったことだ。

 

 

 

 

2 底辺の中の光

 

底辺の高校で過ごした3年間は、さぞかし腐っていた?

意外にも、そんなことはない。

 

 

現代文の授業の時、

武者小路実篤の『友情』の感想を、唯一クラスで読み終わった私に先生は指名した。

 

 

確か感想はこうだったと思う。

 

「昔の話だからと先入観を持っていたが、読んでみたら意外にも面白く現代にも通じるテーマなので

ぜひみなさんも読んでみてください」みたいな内容だった。

 

 

 

 

私の話を興味がなさそうにしている同級生もいたが、その中でも頷いてくれる人も何人かいた。

ある時「あの時の感想を聞いて早速読んでみたら本当に面白かった!ありがとう」

一人の同級生がわざわざ声をかけてくれた。

 

 

30年以上も前の話である。

当時のことを鮮明に覚えているほど嬉しかった、原体験だ。

 

一見腐りかけそうな高校時代だったが

人に喜ばれることで得られる体験を、その時初めて知ったかもしれない。

 

 

 

 

3 腐らないで生きる

 

確かに今だに勉強アレルギーは治らない。

 

特に娘には「中学の時、数学のテストで17点を取った」話をすると、

彼女のテスト前の緊張もほぐれ安心感を与える、という笑い話にはなる。

 

 

それだから、17点が底辺か?

本当にそうだろうか?

 

 

 

ここで1に戻りたい。

偏差値や学力だけでは、計り知れないものも実際にはある。

 

 

 

粘り強さだったり、冷静さだったり、目的意識だったり。

学習以外でも力を入れることはできる。

 

 

 

例えば

仕事やボランティアや好きなこと。

人に喜んでもらったこと。

人から感謝されたこと。

人を助けた経験など。

 

 

経験という価値が答えになる。

これまで積み重ねてきたものは絶対的にあなたを強くする。

 

 

 

腐らないためには

自分のやってきたことを「底辺扱い」しないことだ。

一部から底辺と揶揄される環境にいたとしても、

決して、断じて、人として「底辺」ではない。

 

 

 

生き方を誰が決めるのだ?

他でもない、あなたしかいない。