『袖すり合うも他生の縁』という諺がある。
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通りすがりに袖が触れ合うような些細な関わりであっても
深い由縁があればこそであるの意。だから素気無い態度をとらないで欲しいとの意を含む。
・・・Wiktionaryより引用・・・・・
初対面であっても、たった一回しか会わないと思っている相手でも
まずは相手を見て、状況に応じ、問題がなければ微笑みを讃えようじゃ無いか。
と思うのだ。
随分前に初対面の人(同世代の女性)と密室で
偶然にも2人っきりになったことがある。
ちょうど私もその人も共通の知人を待っていた。
同じタイミングで部屋に入り、その共通の知人を待っていたのだが、
その知人は来ない。少し待つことになりそうだ、と思った。
初対面だし、知らない相手だし。
手持ち無沙汰になるのは致し方ないことだろうとも思う。
しかし、1分も経たないうちに目の前のその女性は
バッグからスマホを出し、『ぷよぷよ』ゲームをいきなり始めた。
コミュニュケーションに絶対の正解はない。
これは自分でも十分、わかっている。つもりだ。
けれど、どうしてこのタイミングで、
その『ぷよぷよ』がやりたかったのか?
しかもいきなり始めたのだ。何も言わず。無言で。
コミュニュケーションが断ち切られた
そう感じた。
別に、その女性と楽しく会話をしたかったわけではない。
彼女のゲームを中断させたかったわけでも、当然ない。
だが
共通の知人との関係の話をしてもいいかもしれないが、それも叶わなかった。
無言の一心不乱ぷよぷよ女と無言の能面ヅラの私は、同じ空間に5分ほど佇んでいた。
しばらくし、知人が現れ長く感じた苦痛の時間は終わった。
初対面であろうが、
お互いが待つ。という時間と空間の中で
少しでも話したり顔を見合わせて微笑むことで、
緊張感のある空気が和めばいいか、くらいはいつも思っている。
例えば電車で隣り合わせた赤ちゃん連れのお母さん。第一子であろう、
赤ちゃんが泣かないように必死であやしている。
がその甲斐も虚しく泣いてしまう赤ちゃん。
その隣にいた私は、何も言わず微笑む。
母親や赤ちゃんに声をかけることもある。
子育てを経験した母親ならわかるだろう。
赤ちゃんが泣くことよりも、どちらかというとお母さんの気持ちの負担を軽くしたい。
過去の自分を見ているようだから。いらぬババア心が働く。
おこがましいかもしれない。
けれど、
たった何分間かの移動時間でも、とつい欲張ってしまう。
出会いは、一瞬一瞬である。
切り捨てる縁もあるが、一方で作り出す縁もある。
自分から縁をわざわざ切り捨てることも無かろうか。
いつかは切れる縁。
だからこそ綺麗事かもしれないが
目の前のひとを思いやる行動だけは取りたい。
また作り出す縁もそこに存在する。
そう思っているのである。