ある洋品店でのこと。
娘と買い物に来ていた私は思わず耳を疑った。
近くにいた親子らしい二人連れの母親らしき人物が
3歳ほどくらいだろうか、男の子に向かって
「〇〇(子供の名前)、走ったらダメ。店員さんに怒られるよ」
さらに驚いたのはその後だ。
「ママは怒らないけれどもね」「店員さんが怒るよ」と念をおしたのだ。
私のブログの読者にはそんな方はいないだろうと、願いたい。
「××さんに怒られるからやめなさい」
子どもを注意する時こんな言葉を使ってないだろうか?
他のバリエーションとして
電車内でうるさくしている我が子に向かって「ほら、あのおじさんに怒られるからやめなさい」とか
親戚一同の集まりで我が子に「おばあちゃんに怒られるから静かにしなさい」とか
この世で一番卑怯な親の言葉、だと思う。
きっと、先ほどの洋品店の店員だって
たとえ店内で子どもが騒いでいたって、基本怒らない(怒れない)だろう。
もし自分が店員だったらと想像すると
「子どもが騒ぐのは親の責任」と思い直接注意はしない。
もし仮に他の客からその子どもの件でクレームがきたら
子どもの親に対して留意する旨を伝えるだろう。
責任を他人になすりつけるなんて。
育児放棄も甚だしい。
タチが悪いのは「自分は悪くない」と信じていることだ。
一方で
「そう思うなら、そうやって生きていればいい!」
と思う。
しょせん他人の人生だ。
私が他人の人生観に、いちいち気にしてカッカすることもない。
こうやって書いていること自体も無駄なことかもしれない。
この先どんなことが待ち受けても、
人のせいにして、自分を正当化して、世の中を敵にすれば良い。
親から言い続けられた子どもは、どうなって行くのか想像した。
ただ怒られないようにだけ注力し行動する。
怒られている目的がわからないので同じことを繰り返す。
自分の頭で考えない。思考停止になる。
残念でならない。
感情にまかせ怒るのは論外だが、
「怒る」や「注意される」ことは、そんなに悪いことなのか?
先生から怒られた
近所のおじさんから注意された
おばあちゃんに大目玉を喰らった
叱らない子育て、なんて言葉が広まって久しいが
叱らない、ことが社会全体で良しとされているような、現在。
しかし、それでいいのだろうか。
他人から注意や叱られるのは子どもにとって相当ショックなだけに
「今後は絶対やらかさない」と心に決める出来事になることだってある。
子どもが道徳的に悪いことをしたら他人からでも怒ってもらっていい。
むしろ育ててもらって感謝とも思う。
そう思うのは私だけであろうか?
世の中に口うるさいおばさんが1人いても
ひとつの社会として成り立つような気がする。