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2026.07.04【公園で暮らす】ホームレスおじさんの話

 

 

ずっと前に、

自宅近くの公園にホームレスが住んでいた。

 

 

毎朝の通勤時、その公園を通り最寄りの駅へ駆け足で過ぎる。

帰りは、というと

一刻も早く帰りたい私はその公園を横目に見ながら家路へ急ぐ。

 

その公園の横を一日2回は通っていることになる。

 

 

 

 

1 ホームレスおじさん

 

ちょうど今頃の気候だったと記憶してる。

夏が始まる前あたりだったか。

 

大きなスーツケースを持った一人の初老の男性が、その公園の前の道端でずっと立ちすくんでいた。

身なりは少しくたびれたようなファッションだった。

そして彼は、何かを誰かを待っているような、そんな様子でずっとそこにいた。

 

 

それが何日も続いた。

何かを待っているように見えたが、そうでもないらしい。

身動きはあまりなく、それにしてもおかしいなと思った。

 

 

その何日か後に、彼が公園のベンチに寝そべっている姿を見て、やっと理解した。

その姿は、ほっとしているようにも見えた。

 

 

棲家を探していたのか。

この場所でいいのかとここ何日か思案していたのだ。

と。

 

 

 

 

2 おじさんの日常

 

毎日最低でも2回は公園の前を通るので、流石に気にならないわけがない。

 

「今日のおじさん」の様子を見るのが日常になった。

夫もそれに気がつき、家でもおじさんの話をすることが増えた。

 

彼はベンチの上で、日がな一日を過ごしているようだった。

屋根がついたベンチは日よけにもなる、強い日差しから身を守っている。

幸運にも、ここには最近見かけるベンチの「意地悪な仕切り」も無い。

 

公園というのは、

確かに合理的、ではある。

 

特に生活で一番使うのは「水」だ。

ひねったら出てくる「水」がある。

 

洗濯、炊事、風呂。

身の回りのことは、この「水」があれば全てまかなえる。

 

これを書いていて

『ホームレス中学生』を思い出した。

麒麟の田村は逞しいなあ。と読んだ当時、感心した。

 

 

おじさんもまた、公園で生活を営んでいた。

 

暑い日には自分の着た衣類を洗い、

落ちていたであろう大きな木の枝を物干し竿代わりに使って、Tシャツと身体を拭いたのかタオルを干していた。

おじさんの上半身裸になった肩には刺青があった。

 

 

 

 

3 社会の中の一人

 

そのおじさんの存在に、一見無関心を装っているようにも見えるが

近所の住人たちは私と同じように、きっと気にはなっていたであろう。

 

 

平日の放課後には小学生の子供たちが、

休日には地域の少年野球の子供たちが、その公園のグランドでボールを投げたり蹴ったり。

ベンチにいるおじさんに気を遣うでもなく、かといって無視しているようでもなく。

何ヶ月か過ごしている、この地に馴染み始めているようにも感じた。

 

 

誰も声をかけようとしない。

私だってそうだ。

交番も近くにあるが声をかけているはずだろう、か。

 

 

ある日

一人のおばさんが、おじさんに食べ物を渡し話をしていた。

食事が気になっていたのだろう。

ベンチの下には段ボールに入った飲料水があり。

荷物は増えてきていた。

 

 

またある時は早朝の公園で

若い男女二人組がバスケットの練習をしている際、応援をしている様子で

シュートが決まった時は、遠くから拍手をしていた。

 

 

一人で生きているようで、その実は「つながり」を求めている。

 

 

ある日を境に、

スーツケース2つと荷物とおじさんの姿は忽然と姿を消した。

 

 

自立支援を促すシェルターに入ったかもしれないし

こことは違う住処を求めたのかもしれない。

 

 

いずれにせよ、

この地に何ヶ月かいたあのおじさんの「暮らしぶり」は

私たちに逞しく生きることを教えてくれた。