日曜日は片付けの手を休めて
今回、第12話。
全20話の、ようやくシリーズの半分を過ぎたが
さまざまな人間性が浮かび上がってきて興味深い。
飼い慣らそうとしたキツネに罠を掛けられた事に対して
学校でキツネを悪く言う正吉に対して、他の子供と意見が対立する。
次の日、凉子先生が純と蛍を職員室に呼び出した。
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涼子「純くん達はその人のこと恨む?虎バサミ掛けたその人のこと?」
純「恨みます」
凉子「うん、蛍ちゃんは?」
蛍「はい」
凉子「そう。だけどもしもよ、もしも例えばあなたたちのお父さんが鶏を飼っていたとして、その卵を売ってあなたたち一家が生活をしていたと仮定するとするわね」
純「うちでは鶏を飼っていません」
凉子「でも飼っている人はいっぱいいるでしょう。そういう人たちが大事な鶏をキツネにやられたらどんな気持ちがする?」
純「それとこれとは話が別です」
凉子「そうかな。別だと思わないけどな。
だったら例えばネズミでもいいわ。ネズミはしまってある野菜を齧るでしょう。鹿でもいい。鹿は確かに可愛い動物だけど、農家にとっては鹿は大敵よ。畑の作物を荒らしにくるから。ね。
こんなこと言ったら、都会に住んでいる動物愛護協会のおばさんたちが目を釣り上げて怒るかもしれないけれど、でもここでは少し違うわ。
ここではね、そういう可愛い動物たちとも生きるために戦った歴史があるの。
そしてそういう歴史の中で、ある時は寒さから身を守るためにどうしても動物の毛皮が欲しい、だから罠をかけてキツネやウサギを獲る」
純「けど今はそんなことをしなくたって、もっとあったかいヤッケやセーターや」
凉子「でもそういうのはお金がかかるじゃない。お金を使わずにやってきた人にはお金を使うことはとっても馬鹿馬鹿しいことでしょう。そうでしょう」
純「・・・」
凉子「純くん先生ね、本当のことを言って、動物を殺すのはとっても嫌よ。できればそんなことしてほしくない。
でもね、そうしなければ生きてこれなかった長年そうしてずっと暮らしてきたそれが生きるための方法だった。そう言う人たちがね、ここにはいたってこと。ううん、今もいるってこと。
そのことだけはね、知ってあげて欲しいの。そう言う人たちこのこともね、理解して欲しいの。
そう言う人たちを憎まないで欲しいの。
わかるかな二人とも、私の言っていること」
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風力発電がついた。
つららが家出をして日が経った。
草太に誘われ、草太の共同牧場で働く雪子。
しかし、牧場の手伝いをしている雪子に対して「迷惑」だと
草太の父、清吉が雪子に伝える。
雪子は、土地に馴染もうと頑張っても“よそ者”という立場に落ち込みつつ、
帰宅する。
ドアを開けると、灯りのついた部屋で五郎と皆が待ち構えていた。
「お誕生日おめでとう!」
サプライズのお祝いだった。
涙があふれる雪子。
雪子の誕生会の時に
五郎の家の外で笠松の爺さんが立っていた。
それに気がついた五郎たち。
家の中に入るように促しても入らない。
笠松の爺さんは
「罠をかけたのは自分」だと、詫びに来たのだ。
正吉の毛皮を拵えるために、キツネを獲ろうとしたことを話した。
純と蛍は「理解した」
やっと腑に落ちたのだ。
実は、最初純と意見が対立していた正吉は
爺さんにも、凉子先生にも、自分の苦しい胸の内を明かしていた。
「もうキツネの毛皮はいらない」と爺さんに訴えた。
子供なりに大人の都合や気持ちを汲みながら立派に成長している。
自然の中の「生き方」を教えてもらっている。