日曜日は片付けの手を休めて
今回10話。
かれこれ2ヶ月半、毎週ドラマレビューを書いているが
頭の中、すっかり『北の国から』一色。
北海道富良野には観光で2回ほど訪れたが
それはドラマで見た広がる大地に青い空。
夢見心地だった。
10話では東京出身の雪子と純が北海道の自然の厳しさを目の当たりにする。
非常に考えさせる、深いテーマだった。
雪子と純が五郎に内緒で
自宅の風力発電のバッテリーを買いに車で出掛ける。
帰り道、経験のした事のない大吹雪に見舞われる。
そんな時、雪子の運転する車が雪溜まりに入ってしまい、立ち往生する。
雪はどんどん積もる。
2人で必死に車に積もる雪を掻き出すが、
吹雪で積もるスピードの早さに耐えきれず
疲労困憊してしまう。
五郎も皆、2人を必死で探すが、車では通行に限界がある。
とうとう車の中で
純が、雪子が目を閉じてしまう。
その時、遠くから鈴の音が。
目を覚ますと車窓から
笠松の爺さんの所の馬が顔を覗かせる。
今回のキーパーソンは馬!
と言いたい所だが、
馬の所有者である笠松の爺さんだろう。
笠松の爺さんと五郎とは馬(シャレではない)が合わず、
五郎の風力発電計画も爺さんとも意見が対立する。
かつては五郎の父とも仲が良かった爺さんだが
開拓時代の電力を通す苦労が身に染みているからこそ
つい五郎にも、親心で口をだしてしまう。
「(爺さんに)叱られちゃった」と蛍にしょんぼりして話す五郎は、笑いを誘う。
本当に五郎は可愛げのある、男である。
馬なんか役に立たない。
「馬肉にしかならん」
「無用の長物」
「売ってしまえ」
と。人は口々に言う。
しかし、今回雪子と純を
唯一救助が出来たのは
最新の車や機械でもなく
「売られてしまいそうな馬」だった。
イソップ寓話の
『田舎のネズミと町のネズミ』の話を思い出した。
田舎のネズミは町のネズミを。
町のネズミは田舎のネズミを。
それぞれ自分の暮らしに誇りがあり、
「よかれ」と思って、
お互いがお互いを自分の土地にもてなすのだが、それぞれ
結局は自分の暮らしが一番と感じる。
開拓後、電気が通り、皆暮らしやすくなる。
が、しかし吹雪の影響で停電になり、
人々はパニックになり、なす術がない。
いかに文明の利器に頼っている人間が脆弱なものかを物語っている。
令和の今でも当てはまるだろう。
対し電気も水道(も無かった)五郎の家では
停電しても影響が無かった。
どちらがどう。と言う話ではない。
しかし、
古い物をばっさり切り捨てることはしたくない。
新しい物を拒絶する固い頭にもなりたくはない。
古きもの、新しきもの。
どちらも融合できると理想的だろう。
笠松の爺さんが、蛍に優しく声をかけるシーンがある。
(五郎にはめっちゃ厳しいが)
本当はどんな人かどうか。誰もわからない。
人に寄って見方が違うのは、当然の事であり
また人としての深さでもあるだろう。
さて、我々は
何を残して何を選んでいくか。
片付けにも通じる普遍的なテーマである。