あなたは「子どものために」怒れるか?
ドラマ
「北の国から」の名シーン
(フジテレビ系列 ′84年夏より)
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北海道富良野の土地に
父・五郎(田中邦衛)が建てた家を
長男・純(吉岡秀隆)のせいで、全焼してしまうことになってしまった。
純が真実を話すシーン。
五郎、純、妹の蛍(中島朋子)の三人で入ったラーメン店。
そのラーメン店では店がうす暗く、他に客はいない。
ラーメンが3人の元に運ばれる。
店員が、五郎たちに「もう閉店だから」と伝え、急かす。
静まり返った店内で、泣きながら、正直に告白をする純。
ここで店員が「急いでくれない」かと再度、泣いている純の話を切る。
五郎も蛍も純に気を遣いながらもラーメンを食べるように薦めるが、
泣いている純は中々食べられない。
五郎が見かねて店員にラーメン代を支払いする。
店員が純のラーメンどんぶりを下げようとする。
「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」
五郎が烈火の如く店員にキレる。
驚いた店員は床に丼を落とす。
割れた丼を片付ける3人。
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このドラマの放映はなんと、40年も前になる。
それでも今でもこころに残るワンシーンだ。
回想して泣けてくる。
自分がコツコツと一生懸命建てた家が一瞬で無くなるというショック。
しかもそれが子どもの失敗とはいえ、子どものせいにもしたくなるだろう。
けれど、父・五郎は純を責めるどころか、息子・純の正直な気持ちに、とことん寄り添った。
店員の不躾な態度にも屈せず、ただ、純を守り抜いた。
自分は、そんな親でいられるだろうか。
親になってからというもの、このシーンを時々思い出しては
自分に問うている。
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以前、子どもが小学4年頃、
友達に悪ふざけで首を肘で絞められた。
「やめて」と友人に懇願したが受け入れてくれず、しつこかった。
家に帰って悔しかったことを正直に私に伝えた。
それを聞いた私は激怒した。
「その親に会って話をしてくる!」
子どもはそんな私を制した。
今までの関係が崩れるから「母親が(しゃしゃり)出ることはやめてほしい」と。
子どもは子どもの世界がある。それはわかっている。
だが、悪ふざけ、とはいえ、これは「暴力」だ。
あなたはどうするだろうか?
黙って見ていられるだろうか?私はそんなことは絶対にできない。
例えば、学校の先生に言って(報告・相談)もできただろう。
けれど、放課後の公園での出来事だったのと、時間を持て余すほど、待てなかった。
だが子どもは「やめてほしい」と言っている。
少し冷静さを取り戻した私は、子どもに約束した。
・大人同士で交えながら、友達に「聞く」。
・絶対に怒らない。「冷静」に話す。
・なぜ「こうなったのか」を聞き、今後「どうしたらいいか」を聞く。
・我が子は険悪な結果を決して望んでいないので「仲良くなるため」の相談をする。
・「和解」をゴールにする。
何度も子どもに説得し、しぶしぶ了解を得て、
私1人で子どもの友人の家に話しに行った。
子どもは行かなかった。友人との今後の関係が変わることが、怖かったのだろう。
こんなことまでされて「嫌いではない」。私には理解はできなかったが「好き」だから。
子どもの気持ちを胸に、とにかく和やかな雰囲気と落ち着いて話すことを心がけた。
相手の親に会って冷静に話をした。
どちらかというと「頑張った作り笑顔」だったかもしれない。
相手の親は私の話を聞いているうちに、
みるみるうちに顔が曇り、歪み、そして腰が折れるのではないかと思うほど、何度もお辞儀と謝罪をした。
その後、その子と我が子は和解して、今まで通りの仲良しの友達だ。
事後報告になったが、担任の先生にも伝えた。
それからは、いつも通りの日常。
もう何年も経っているが
いまだに、これでいいのか「正解」はわからない。
けれど、子どもの気持ちを汲み、ベストを尽くしたつもりだ。
親でしか、我が子を守れないのだから。
子どもにガミガミ怒っている場合ではない。
怒るくらいなら自分の行いを反省せよ。
自戒を込めて。