一期一会。
人の出会いは、これが最初で最後と考える。
毎日会う人だって「これが最後」と思っていれば
納得して生きていくことができるだろう。
50歳になり、人間関係を整理している。
古くのママ友だった人が、久しぶりに会った際に
近所で会っても、他人にするようなそっけない挨拶に出会し、
関係の終わりを感じた。
30年来の友人だと思っていた人が、無理して付き合っていたが
会うたびに体の不調が続き、今になって「合わない」ことを悟り
「長い付き合いだから」という呪縛に苦しんだ末、離れる覚悟ができた。
付き合う人を選ぶようになった。
「子供の付き合いだから」と無理してグループに入ろうとしない。
LINEグループに入っても、用事や役目が終わったら、一言お礼を言って去るようにした。
時間と共に変わっていく人間関係。
こんな付き合いもないだろうか?
「いつか会おう」と言い合う関係。
近年、年賀状を出すことがなくなったが
コメントのない友人に対しての、
無難な文言として書いていないだろうか?
他でもない、私がそうだった。
「だったら、会おうぜ」
と、書きながら、いつも自分に突っ込んでいた。
「会おう」とメッセージをもらった方だって期待する、、か??
でも、十中八九、いや十のうち十、会わない。
会った試しがない。
無理して関係を続けることはない。
その代わり、目の前の「今ある関係」を大切にしようと思っている。
自分からはあまり言わないが
相手から「会おう」と言われれば
即座にこちらから「じゃあ、いつにする?」と予定を立てる。
突然の返事に、ビビる相手もいる。無理はない。
社交辞令で言っているかもしれないが、それでも真っ直ぐに返事する。
予定が決まったら、会う。
予定がなんだかんだと言っては合わない人もいる。
そう言う場合は追わない。
もうこれきり、と別れる場合もある。
来るもの拒まず、去るもの追わず、だ。
話は変わるが、
今日ある人に会った。その人は
自分を産んでくれた母を「嫌いだ」と、はっきりと言った。
「嫌い」と口にしていても
実際は年老いた母親に、会いに行ったり、買い物や散歩にも付き合う。
聞けば、幼少期から大人になって自分が子供を産んで、
母親(の存在)って一体なんだろう?と改めて思ったそうだ。
子供の頃には得体の知れないモヤモヤが
大人になってから「嫌い」とはっきりと輪郭を帯びて、気持ちが変化したそうだ。
最後に彼女は私に言った。
「たとえ親子であっても嫌いって感情に正直になってもいい」
そうか。
親子だから、家族だから、って「仲良くなる必要」なんてない。
彼女だって、また年老いた彼女の母親だって、
最後には幸せになる権利はあるはずだ。
だから過去や現在だって色々あるかも知れないけれど、
最後にはお互いに笑っていたいよね。と
カラリと、一緒に笑って話は終わった。
何時も「これで最後」だと思えば、
できないこともできそうな気がしてくる。
さて、会いたい友人に連絡をとってみるか。