
死について考える。
『夜明けのはざま』
町田そのこ著
ポプラ文庫
私ごとで恐縮だが
今年6月、義母が天国に旅立った。
夫の実家はほど近く、離れた地に住む私の両親よりも
当時小さかった子供たちの面倒をしょっちゅう見てくれた。
何より家庭的な事が出来なかった若かりし自分に、
幼稚園のレッスンバッグなど洋裁の得意だった義母は
イチから優しく丁寧に教えてくれた。
今の自分があるのも義母のおかげと言っても過言ではない。
身近な人がこの世からいなくなることに
「人って、こんなにもあっけなく最期を迎えるのだ」と思った。
それは、遠方の祖父母やおじ・おばが亡くなった時よりも、強く思う。
確かに血が繋がっていて、幼少期にも家族で帰って可愛がってもらった記憶も、当然ある。
けれど、人というのは、血のつながり云々だけではない
「どれだけその人に会っていたか?」頻度がその人との絆を強めていることもある。
それも、過去ではなく「今 /最近」という前置きで。
私の中では
以前は大切に思っていた関係もいずれは変わる、という認識である。
このオムニバスでもある『夜明けのはざま』では
家族葬を執り行う葬儀社「芥子実庵」で行き交う人々の思いを描いた小説。
大切な人との過去を知りショックを受けたり、知らない一面を垣間見て自分との付き合い方を振り返る人。
喪失と後悔が入り混じった感情たちに、少し苦しくなる時も。
個人的には少し“ウエット”すぎる。
職業に貴賎なし、が大前提だが職業差別についても触れている。
他にもジェンダーフリーやシングルマザーやいじめなど。
社会が抱えているテーマを取り上げ、読むものにそっと寄り添ってくれる。
文中でも
「赤ちゃんの骨は焼くと残らない」の一説に衝撃を受けた。
骨という本人の存在した証、がなくなるのだ。
これはきっと親であれば、子供の存在が小さければ小さいほど喪失感で立ち直れないだろう。
と言うのも
義母が亡くなった時、“骨”について考えた。
確かに“物体としての体”はこの世から無くなったが
骨、そして墓の存在で遺族たちは
故人を偲ぶ思いに至るのではなかろうか。
もしこれが仮に無い場合、
心の中で祈るしかない。
しかしながら、
骨というのは墓を掘り返したりしない限り、
骨との対面は難しいだろう。
そもそも誰がどの骨などかも、もはや、わからない。
骨にすがる気持ちもありながら、
故人が私たちに一体何を残したかったのだろうか?
生きている人間の傲慢さと受け取られても構わない。
残された人が
(故人の事を思い詰めず)
笑って生きていく。
大切な人が亡くなったらそりゃあ悲しい。
けれど前を向いて生きていく。
これが最大の“供養”なのではないだろうか。