
「勉強が嫌い」
公言するのは
中学2年、末っ子娘の言葉。
夏休みが明けたらまた再発?する、
毎日のように発言する「学校行きたくない」。
学校が嫌いなのは、中学生にありがちな友人関係よりも
“勉強がある”ことが大きくウエイトを占めている。
そんな嫌いな勉強でも
最近の娘の様子には目を見張るものがある。
そっと、不意打ちで娘の部屋に入る。
ゴミ回収や掃除で入る。母の特権だ。
時にノックし、時に一声「入るよ」かけて。
机に向かっている。
イラストを描いている時も、タブレットでアニメを観ている事もあるが
それ以外の多くは、勉強しているのだ。
何日かは「まぐれ」だと思った。
しかしここ最近は、いつも勉強しているではないか。
どうした?
何があった?
これは私の娘か?!
嫌いなのに勉強するの?

私だったら勉強はおろか、夏休みの宿題だって8/29から始めていた。
それも家族を巻き込んで、日記には嘘八百書いて、とんでもない娘だった(今でもか?!)
令和に生きていたら、勉強から逃げてスマホばっかりいじっているんだろうな。と想像する。
ダイニングで風呂上がりにアイスを食べている娘に聞いた。
「どうして勉強するの?」
フツーは子供が親に聞く言葉だ。
うちでは子供と大人(と言っても私)が逆転する。
娘「だって将来、選択肢が狭まるのが嫌でしょ」え、中2だろ?
母「そのために勉強するの?選択肢たって、これから決まっていくのに?」
娘「そう、将来困りたくないし。選択肢が狭まるとやりたいことも出来ないでしょ」
母「・・うう、、そうだね。。」言葉に詰まる。
これでは親子逆転のまま、大敗で試合終了してしまう。
なんとか親として逆転勝ちを狙い、奮起するも。。
母「やりたいことだけやっていく人生もあるよ。ママは嫌なことから逃げっぱなしの人生だけど
それでも今とっても幸せよ」
娘「それはたまたまの成功例でしょ。大抵は路頭に迷うでしょ」
母「・・・」
ボロ負け、である。

ちなみに末っ子というのは恐ろしい。
彼女の3人の兄たちの進路、夫や私の人生を見て肌で感じている。
この思考や言葉も、これらによって育った結果、だ。
「やりたいかどうか」
「できるかどうか」
とかく、何かを始めたり行動する時に頭をかすめるが。
娘と話してわかった。
そうではない。と。確信した。
やりたいより、できるかより、
「自分にとって必要か否か」が大事なのだ。

嫌だけれども「必要だから」やる。
クタクタでも毎晩歯磨きをするのも、髪を洗うのも。
暑い日にキッチンに立つのも。
必要だからするのだ。
虫歯になっては困るし、
頭が痒いのも不快になり仕事が手につかない。
食材を腐らせたくないからキッチンに立つ。
回り回って後々自分が困るのは嫌だ。
嫌なモノを遠ざけたいのは世の常。
嫌でも「必要」と感じれば「やる」しかない。
四の五言わず、やる。
シンプルに生きるヒントを39歳下の娘から学んだ。