
「ゲームは買ったらすぐにリサイクルするんです」
以前クライアント宅で片付けをしている際、
子供のゲーム機について触れた会話。
伺えば
最新型のゲーム機を購入し、数ヶ月思う存分楽しんだ後、
リサイクルショップに持ち込み、売却したお金でまた新たしいゲーム機を購入する、とのこと。
あなたはこのクライアントの言葉にどう反応するだろうか?
私はこの言葉を聞いて
「数ヶ月で手放すなんてもったいない?!」と反応した。
けれどよく考えれば
実に合理的であることは確か。

いつかは、
どんなものに於いても必ず「飽き」がくる。
飽きのこないものなんて、この世にない。
それが早いか遅いか、と言うだけ。
誰が「早い」「遅い」と決められるだろうか?
他でもない自分たちで決めるのだ。誰がなんと言おうと。
以前我が家でも何年か前にゲームソフトをリサイクルに出した。
昨今のスマホゲームの普及で、最近は需要がないかもしれないが、
当時は高額な売値だったことを記憶している。
やはり最新のものは高額で古いものはそれほど、だった。
「おお〜こんなに儲けた」(ほくほく)
「よっしゃ、また新しい(ゲーム)ソフト買える」
と、子供よりも大人が喜んでいたことを思い出す。

さて話を本筋を戻そうと思う。
「売るために所有する」つまりは
リサイクルするために持っている。と言うことは
ゲーム以外でもよくある話。
我が家ではスマホや電子機器は「いずれ売るもの」として、
買った時についている箱も別の場所に保管している。
他には、おもちゃ、本、衣類などリサイクルに代表的なものをクライアント宅でもよく拝見する。
ただここにきて、一つの引っ掛かりがある。
売るために使っているの?と。
使いたいために使っていないのか?
「使う(所有する)目的」がずれていないだろうか?
マットを敷いて汚れないように。
カバーをかけて傷がつかないように。
箱に入れて埃がかからないように。
物や家を大切にする気持ちはわかる。
もっとも私も同じだ。
けれど「売るため」だけに、物を守り
汚れたら、傷がついたら、埃が被ったら、
価値が下がるとばかりに落胆したり、子供を叱っているのでは本末転倒だ。
必死で“守ろう”とするのは冷静にみても、どこか不自然でいびつなものを感じる。

冒頭のクライアントの話に戻る。
回転数の早い、ゲーム機の更新。
この話を繰り返すと
「思う存分」楽しんで
「時期がきたら」手放す。
家族が「手放してもいい」と全員納得の上、
思う存分その間は楽しむ。
楽しんだあとは自分の欲しい物を手にいれる。
その繰り返し。
ものも、人も、暮らし方も、実は理想的なあり方なのではないだろうか。
いつかは失う物を
一瞬一瞬を大切にしながら、更新していく。
あたらめて、
物の扱い方はその人の心の中が見える。と思う。