
無駄なものは無くす。
世間のスタンダードになりつつある言葉だが
あえて、一石を投じたい。
自宅マンションの管理人が
ホウキとちりとりを持って管理室から出ようした時に、出かけの私とばったり会う。
「あら?掃除ですか?」と声をかける。
「そうなんですよ」
「忙しいのにありがとうございます」
聞けば、
だいぶ前、管理組合で決議された
コスト削減のために
「マンション清掃員が半数に減った」影響で、掃除をするエリアや労働力が減少し、
その代わりなのだろう
「清掃員の掃除の負担を管理人が(自発的に)フォローしている」
と、その管理人は笑って言った。
我が家もマンション管理組合に入っているので、
意見があれば発言するが
マンション全体で決まったことには当然、従う。

誰が掃除してもいい。
自発的にできる人がやる。
じゃ、管理人が自発的とはいえ、その負担を負うの?
何だがモヤるのは私だけ?
じゃあ「金内お前がやれ」と言われるが
その通りだ。
自宅周りは落ちているゴミがあれば拾う。
けれど、それ以外の他の住居パトロールなどは当然しない。
マンション全体の環境など興味がない。それが本音。

これまであったものを、減らしたり無くすことは、
減らして/無くして終わり、でもないような気がする。
もちろん無くした後、気にも留めない事例ができれば、それは大成功だ。
でも、ちょっと待った。
無くした先に何が待っているのか?を考えてみると
他の(誰かが/代替え案で)方法でやる。ということもある、とも思う。
どうしても「不平等」が頭をよぎる。
持ちつ持たれつ。
これこそ無駄?な考え?
「無駄なものを無くす」昨今。
そもそも無駄なもの、って何だ?
・・・・・・
「無駄」とは、行ったことに対して効果や成果が得られないこと、役に立たないこと、
または価値がないことを指します
・・・AIの回答・・・・・
過去にしがみついている慣習だったり
私のように「未来への不安」や、
もう少し言えば
マンション住人の中には管理人の「気の利く掃除」さえ無駄、かもしれない。
無駄なもの、と一言で言ってもそう簡単には片付けられない。
この世に
「無駄なのもは何もない」とウエットな人もいれば
「無駄なものだらけ」と何でも切り捨てるドライな人もいる。

片付けを仕事としている私は
無駄なものかどうか、はクライアント主体で決めるものなので
「(無駄)かもしれないですね」という便利な語尾を使って片付けを促すこともある。
そうしなければ進まないからだ。
けれど最終的に決断はクライアントに委ねる。
基準は人それぞれあってもいいと思うが
無くした後どうなるか?
少しでもイメージしたり触れてみたりすることで
非効率といわれようとも
物や人との乾いた関係性が少しは変わるのでは?と思っている。