heya-koto

BLOG

2025.10.04美しさは正義?【ラップケース】から考える

 

 

ラップだけはケースに入れるの、やめてくれない?」

 

 

 

10年いや、もっと前か。

夫から言われた。

 

 

キッチン周りを“美しく見せる”ためだけに

食品用ラップをケースに移し替えていたのだが

ラップの端がいつも引き出せなく、夫だけで無く私もイライラしていた。

 

 

 

“美しく見せる”ことに、こだわった結果

実際には、使いづらく、家事の動作を明らかに妨げていた。

これは、うすうす私も感じていた。

 

 

 

 

1 イライラするケース

 

ラップはロールに引っかかりやすいから

当然ケース内でもひっかかり、ラップの端が出てこない。

 

 

ケースから出して爪でくるまったラップの端をカリカリとラップを引き出す。

しかも

鈍臭さゆえラップの端が見つからない、

途中で真ん中から切れてぐちゃぐちゃになる。

次に使う時には元の木阿弥。またケースから出して使わなければ使えない。

 

 

 

こんな小さなものにストレスが大きくかかる。

 

うう、、

一体何のためのケースなのよ?!」

 

選んで買ったのは紛れも無く自分だが、イライラが最高潮になった。

 

 

 

 

2 アホらしいやりとり

 

そんなイライラするくらいなら、とっとと捨ててしまえ!

過去の自分に言っていただろう。

 

が、それでも使っていた。

なぜなら、白一色揃っていて美しいから。

 

 

では同じロール状の、ホイルやキッチンペーパーはどうか?

これは性質上、ロール内での密着がないため、問題ない。

 

問題はラップだけ、なのだ。

 

美しく見せたい妻 vs 使いやすさ第一主義の夫

 

 

 

折衷案として、

ホイル、キッチンペーパーはケースに入れていいが

ラップは購入時のまま使う。ことで話はまとまった。

 

なんなの、このやりとり。アホか。

 

 

 

 

3 誰がために存在するのか

 

今でこそ「使いやすさが一番」と豪語する私だが、

当時は、自分の気持ちを優先し、家族の使いやすさなんて二の次、だった。

 

 

往々に「美しくすること」と「実用性」は相反する

 

 

白いケースに入れれば美しく見える、かもしれないが

その実、中身の存在を忘れ二度買い三度買いしてしまったら本末転倒。

移し替えて並べてうっとりするのは、自分一人だけ。家族は迷惑極まりない。

 

 

混同しがちだが

詰め替え、移し替え、似ているようで目的が違う。

 

一般的に

 

詰め替えは

シャンプーや洗剤などをボトルに詰め替えるのは、安い、エコ、大きな容器から小さな容器になり使いやすくなるから。

 

対し、

 

移し替えは

例えば、本の表紙を取り外し全部白一色カバーに変える方がいるが、

これは見た目を美しくする、だけの目的だ。

ただそこには、自分の心の平穏や安心を求めていることも十分理解している。

 

美くして何が悪い?!

使えればいいってもんじゃない。というのもわかる。

 

 

だが、自分一人の持ち物ならいざ知れず。

家族も共用となれば、話し合い・折れてみることが必要になる。

 

 

 

パッケージの派手な色味にうんざりしていた過去が、

今では「慣れ」に変わって「納得」している自分がいる。

 

 

もしかして、当時は

子育てや家事に振り回されていた“何者でもない自分”を変えたくて必死だったのかもしれない。

シンプルに美しく身の回りを整えることで、自分も変わると思い込んでいた。

 

 

どこかで見たような

無味乾燥な容器やパッケージ。

扉や引き出しを開けても無表情の箱たち。

 

 

果たして、ほんとうに暮らしが整った、と言えるだろうか?

 

 

現在、目指したいのは

喜怒哀楽のある、収納。

 

 

チグハグや不揃いこそ、可愛げや愛嬌が宿る。

ダメダメな部分も許容できる自分でありたい。