
来年の年賀状、
出す?出さない?
年賀状じまい。
昨年も確かこの時期に「年賀状じまい」の記事を書いたか??
とうに忘れてしまったのでまた懲りずに書こうと思う。

出そうか出すまいか?悩んでおられる方。
自身、年賀状じまいを5年前にしたことで、今の気持ち、変わったこと、などをお伝えしたい。
最初に言っておくが
「書くこと」「手紙」が嫌いだから
年賀状じまいをしたのではない。
もともと「手紙」が好きだったはず、である人間だ。
口下手な私は、喋ることよりも、圧倒的に「書く」ことが好き。

どのくらい好きか?というと
小学生の頃、漫画雑誌『りぼん』の漫画の下のわずかなスペースに
「ペンフレンド募集」のコーナーがあり、積極的に自分から手紙を送って、
何人かの離れた地のペンフレンド/書き友を作った。
(覚えている同年代の方がいたら、ものすごく嬉しい。。)

自宅ポストを覗くのが日課で毎日ソワソワした。
手紙の内容なんて未熟なものだったが
それでも自分の身の回りにあったちょっとした出来事や、
相手を思いやる言葉に、学校の友達とはまた違った感情で胸が高鳴った記憶がある。
ペンフレンドは何人かいたが、
その中でも唯一、何年か続いた沖縄の同い年の友達。
お互い小学生高学年になり、沖縄のペンフレンドが東京まで観光で来る予定に合わせ
実際に新宿で会ったこともある。

時代が変わっても、きっと変わらないであろう
「つながる」を得た、しびれるほど懐かしい感覚だ。
口下手な私は、人から何か嫌なことを言われた時にとっさに言い返せない。
「・・・」ぐぐっっ、、と胸にナイフが刺さったまま抜けずにいるのが関の山。
いつもの「持ち帰りの沸々とした感情」を、家族にぶつけることもよくあった。
家族もいい迷惑だろう。
ある時、私の愚痴を聞いていた母が「手紙で(あなたの気持ちを)書いたら?」と何気なくアドバイスした。

・・・そうか、手紙か。
小学生以来だった。
ペンを握り、思いの丈を書いた。
思いの他、スラスラと書けたのは自分でも驚いた。

「書く行為は感情を整理する」とは、よく言ったものだ。
後々、ものすごく納得した。
今でも胸に刻みながらこうやってブログを書いている。
ただ、
そのまま感情をぶつけるだけではダメだ。
読んで後に残る。あとあと引きずらないか?
未来志向の建設的な内容になっているか?(その相手と今後どう付き合っていきたいか?)
相手の気持ちを汲んでいるか?ひとりよがりの下品な文章になっていないか?
などを自分の中で咀嚼した。

書いてポストに入れた。
その後は、というと
送った相手とは手紙のおかげ(と思いたい)、
思ったことを口にできるほどの関係になった。
年賀状じまいをした理由の一つに、
人間関係の整理だが

どこの誰まで出すか?で悩んだ経緯がある。
リアルでよく会う友人?全く会わなくなった遠い知人?お世話になった目上の人?
この人は出そう、この人は、、と頭の中で線引きや優先順位をつけるのが面倒くさくなった。
人間関係に、優劣や順位などないはずだ。
あるかな?
あるとしたらそれは「今」という軸と「会う頻度」「接触頻度」でしかないような気がする。

つまるところ
今、目の前にいる人しか大事にできない。
私は器用な人間ではない。

年賀状どころか手紙を出すこともほとんど無くなった最近だが、
年末にみかんを送ってくれる遠い親戚に感謝のハガキを出す。
それもまた温かい気持ちになることは確か。

年賀状じまいの話なのに
矛盾しているかもしれないが
物理的に離れていても、
手紙というツールで繋いでくれることもある。
それもまた真実だ。