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2025.12.06手紙好きが【年賀状じまい】をした訳

 

 

来年の年賀状、

出す?出さない?

 

 

年賀状じまい。

 

 

昨年も確かこの時期に「年賀状じまい」の記事を書いたか??

とうに忘れてしまったのでまた懲りずに書こうと思う。

 

 

 

 

出そうか出すまいか?悩んでおられる方。

自身、年賀状じまいを5年前にしたことで、今の気持ち、変わったこと、などをお伝えしたい。

 

 

 

 

 

1 手紙が大好き

 

最初に言っておくが

「書くこと」「手紙」が嫌いだから

年賀状じまいをしたのではない。

 

もともと「手紙」が好きだったはず、である人間だ。

 

口下手な私は、喋ることよりも、圧倒的に「書く」ことが好き。

 

 

 

どのくらい好きか?というと

小学生の頃、漫画雑誌『りぼん』の漫画の下のわずかなスペースに

「ペンフレンド募集」のコーナーがあり、積極的に自分から手紙を送って、

何人かの離れた地のペンフレンド/書き友を作った。

(覚えている同年代の方がいたら、ものすごく嬉しい。。)

 

 

自宅ポストを覗くのが日課で毎日ソワソワした。

手紙の内容なんて未熟なものだったが

それでも自分の身の回りにあったちょっとした出来事や、

相手を思いやる言葉に、学校の友達とはまた違った感情で胸が高鳴った記憶がある。

 

 

ペンフレンドは何人かいたが、

その中でも唯一、何年か続いた沖縄の同い年の友達。

お互い小学生高学年になり、沖縄のペンフレンドが東京まで観光で来る予定に合わせ

実際に新宿で会ったこともある。

 

 

 

時代が変わっても、きっと変わらないであろう

つながる」を得た、しびれるほど懐かしい感覚だ。

 

 

 

 

 

2 苦情も手紙で書く

 

口下手な私は、人から何か嫌なことを言われた時にとっさに言い返せない。

「・・・」ぐぐっっ、、と胸にナイフが刺さったまま抜けずにいるのが関の山。

 

いつもの「持ち帰りの沸々とした感情」を、家族にぶつけることもよくあった。

家族もいい迷惑だろう。

 

ある時、私の愚痴を聞いていた母が「手紙で(あなたの気持ちを)書いたら?」と何気なくアドバイスした。

 

 

 

・・・そうか、手紙か。

 

小学生以来だった。

ペンを握り、思いの丈を書いた。

思いの他、スラスラと書けたのは自分でも驚いた。

 

 

 

書く行為は感情を整理する」とは、よく言ったものだ。

 

 

後々、ものすごく納得した。

今でも胸に刻みながらこうやってブログを書いている。

 

 

ただ、

そのまま感情をぶつけるだけではダメだ。

 

読んで後に残る。あとあと引きずらないか?

未来志向の建設的な内容になっているか?(その相手と今後どう付き合っていきたいか?)

相手の気持ちを汲んでいるか?ひとりよがりの下品な文章になっていないか?

などを自分の中で咀嚼した。

 

 

 

書いてポストに入れた。

 

その後は、というと

送った相手とは手紙のおかげ(と思いたい)、

思ったことを口にできるほどの関係になった。

 

 

 

 

 

3 どこまで誰に出すか?

 

年賀状じまいをした理由の一つに、

人間関係の整理だが

 

 

 

どこの誰まで出すか?で悩んだ経緯がある。

リアルでよく会う友人?全く会わなくなった遠い知人?お世話になった目上の人?

 

 

 

この人は出そう、この人は、、と頭の中で線引きや優先順位をつけるのが面倒くさくなった。

人間関係に、優劣や順位などないはずだ。

 

あるかな?

あるとしたらそれは「今」という軸と「会う頻度」「接触頻度」でしかないような気がする。

 

 

 

 

つまるところ

今、目の前にいる人しか大事にできない。

 

 

私は器用な人間ではない。

 

 

 

年賀状どころか手紙を出すこともほとんど無くなった最近だが、

年末にみかんを送ってくれる遠い親戚に感謝のハガキを出す。

それもまた温かい気持ちになることは確か。

 

 

 

年賀状じまいの話なのに

矛盾しているかもしれないが

 

 

物理的に離れていても、

手紙というツールで繋いでくれることもある。

それもまた真実だ。