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2024.08.25人間の「品」について考える【恍惚の人】ブックレビュー

 

窮地に立たされたとき、人の「品」が問われる。

 

 

『恍惚の人』

有吉佐和子著

新潮文庫

 

敷地内の離れに済む、舅の茂造が老人性痴呆症にかかる。

主人公・嫁の昭子が甲斐甲斐しく介護する姿を描いた長編小説。

 

なんとこの本、昭和47年に発刊されたもの。

当時は女性は結婚後専業主婦で家にいるもの。男尊女卑の色も強く残っている。

夫の信利と共働きで生計を立て子育てをしながら、家事もこなす兼業主婦、昭子。

しかも、介護は自宅ですることが一番良い。とされる時代。

 

そんな中、舅が痴呆症に。

仕事をしながら、自宅介護をすることの大変さ。

さらに夫は「(実の)父は自分のことを覚えてくれていない」のを理由に何もしない。

それでも一人息子で高校生の敏は、

そんな「ボケたおじいちゃん」「忙しい母親」のフォローもしてくれる。

ここでも時代の変化を感じつつ、読み進める。

 

 

p156・・・・・・

「子供っていうより、動物だね、あれは」

「まあ、敏」

「犬だって猫だって飼い主はすぐ覚えるし忘れないんだから。自分に一番必要な相手だけは本能的に知っているんじゃないかな」

敏は滅多に茂造のことについて、親と語りあったことはなかったが、彼なりに観察をしていたらしい。

「ママが飼い主だって言うの」

「そうさ、パパを覚えてたって何もしてくれるわけじゃないからね。親だ子だって言ったって駄目なんだよ。本能というのは生きる知恵なんだから」

「でもお爺ちゃんは敏のことも覚えているのよ」

「僕も少しは役に立つ相手なんだろ」

「そうなのかしら。そういうものなのかしら」

「僕も迷惑だと思うけどさあ」

「・・・・・・・・・」

 

・・・・・(本文より抜粋)・・

 

 

世代間の違い、血縁関係があるなしに関わらず老人への関わり、

専業主婦とワーキングマザー、

それぞれの立場の心の機微の描き方が手に取るように伝わる。

また、当時、もしかしたら現代も、かもしれないが

老人社会問題を明らかにした作品であろう。

各家庭で親を介護する、そこには家族以外の誰にも言えない、言ってはいけないという、恥ずかしさを隠す社会であったこと。

痴呆症への理解、協力。共有。

 

 

重いテーマでありながら、

次は何が起こる?とページが進む。茂造の行動もリアルに描き驚くことばかりだ。

茂造が子供のようになる、思わず笑いが込み上げてくるシーンが多々ある。

以前は気難しく、嫁の昭子にも嫌味を言っていた茂造であったが

後半穏やかな表情に包まれる。

 

 

p333・・・・・・

「お爺ちゃん、どうしたんです」

小柄な昭子が茂造の視線を辿って見上げると、道の向こうの塀の中から大きな樹木が葉を繁らせていて、その緑の中でしとどに濡れた泰山木(たいさんぼく)の花が、目のさめるような白さで咲いていた。

 雨だから、傘をさせばつい下を見て、泥にぬかるんだ道ばかり眺めて歩くものであるのに、茂造は濡れることには頓着なく、傘をかまわず上を向いて歩いて、雨の中で豪華な咲き方をしている花を認めたのだろう。昭子は、胸を衝(つ)かれていた。泰山木の花は美しかった。

 

・・・・(本文より抜粋)・・

 

今まさに、老いを感じながら生きているが

残りの人生、品のある人間になるために、どうしたらいいか。

ヒントが詰まった作品である。