風呂から上がった夫が、私に言った。
「石鹸もう無いよ」
続けて
「ストックも探したけど、そっちも無かったみたい」
風呂場を確認すると
薄くペラペラになった石鹸があった。
洗面台下のストックを入れているボックスにも在庫は一つも無かった。
全く気が付かなかった。
「今日、日用品の買い物に行ったのに。。」
こんな小さい事だが、自分自身に少しイラッとする。
夫は私が不機嫌になるタイミングが、わかるらしい。
「怒らせたら面倒くさい」
同時に
「妻に嫌われたくない」
も堂々と?公言している。
結婚25年目だからか、それとも笑い話になるか。
洗面所で、夫は私に言った。
「あなたの分はまだ大丈夫そうだけど、買ってこようか?」
夜10時は過ぎていた。
石鹸を見れば、これから入浴する私1人分だけでなく、あと何回かは使えそう。
本物の鬼嫁?だったら
夜中に夫に“まだある石鹸”をわざわざ買いに行かせるか?
そんな事を冷静に考えながら
夫の一言で不機嫌が追いやられ、
「明日私が仕事帰りに買いに行くから大丈夫。明日の夜までに買いに行けば良いでしょう」
とそこで話は、一件落着。
一見、夫は妻の尻に敷かれているようで、
実のところ
夫の方が何枚もうわ手で、妻を上手く操縦していたりも、する。
「石鹸がまだあるから今日のところは大丈夫」
これで十分話しは通じる。
在庫を調べ、無いと不機嫌になりそうな妻を
「買いに行く」と提案した。
これは私だけではなく、家族が
「明日社会の5ミリ方眼ノートが必要だった」うっかり忘れたときも
LINE一本で夫が仕事帰りにノートを買う。
本人の心は
「自分がどう思うか」はどうでも良く
「家族が困っていたら(考えずに)動く」スタンス。
誤解の無いよう言っておくが、そこには我慢と言う言葉はない。
夫は自分に対しては“鈍感”だ。
家族からの幾度の非難があっても
牛乳を飲み残したコップに、麦茶を注いで混ざっても何とも思わない。
お構いなし。なのだ。
対し妻にはセンサーが鋭い。
今回の石鹸の件だけではなく、
私がイライラしている時は、状況を察知して
「まぁまぁ」となだめて笑って落ち着かせる。
まるで大人が子どもをあやすように。
以前は、怒りに任せた私に対し、なす術もないように
何もしなかった(出来なかった)夫だったが、ある日を境に心得たようだ。
先に堂々巡りの状況を変えたのは夫だった。
最近では、怒ったら→なだめる、台本のような“型”が出来ており、
茶番は台本通りスムーズに終わる。
一連のやりとりを見ている子ども達は、さぞ呆れているだろう。
たかだか石鹸、である。
無くても
1日くらいは、シャンプーの泡で身体を流すのだって問題ないだろうし。
帰宅する子どもに、途中買い物をお願いしても良いし。
なんなら石鹸が無い事が一番気になる私が、入浴前にコンビニに行けば良い。
だけの話。
こんな些細でくだらない事を毎日のように繰り返す。
が同時に思う。
家庭は優しさで成り立っている。と。
在庫をチェックするためのリスト?
忘れないための家族の意識づけ?
買い物前の家の中の仕組みづくり?
正しさなど、必要ない。
なる時には、なるのだ。
ややこしい妻を持った夫に、我ながら同情しつつ、
私はやはり優しさで返したい。と思うのだ。