突然だが
他人の親切に「うっとおしい」「ほっといてくれ」と思うこと、ないだろうか?
この世に「ありがた迷惑」って、存在する。
予定を立てて、行動しようとした、その時
他人から「〇〇しておいたよ」と言われて、
多分、相手にもよるのだけれど、
余計なことを・・・!と思うことが、最近多い。
第三次反抗期が来たのか??
自分でやろうとした気持ちが、折れる。萎える。さらには怒りに変わる。
中学生の反抗期の「今やろうと思っていたのに!」と
子どもが親に怒る訳がものすごくわかる。
50歳にもなって、ど〜んと構えていればいいのだが、
なにしろ子どもより子どもな精神の私。
押さえつけられる、指示される、決めつけられる。
先回りされる、予定を変更される、信用されていない態度をされる。
これらは私の気持ちの原動力(他にもあるけれど)
怒りが文章に変わり、こうやって文字化できている、と言ってもいいくらい。
だから、親の気持ちよりも、
どちらかと言えば子どもの気持ちの方が、わかるかもしれない。
子どもって「いつも自分でやりたい」と思う。
大人から子供扱いされたくないし、信じて欲しい、
親が子どもに何かを先回りしてやってしまうのは
「自分は信用されていないんじゃないか?」って思ってしまう。
だから先回りしないで。
「やってあげる」なんて思い上がり。
「子どもが片付けできるには?」は、傲慢。
手を出すなら口を出すな。
口を出すなら手を出すな。
ただ、目だけは離すな。
21年、4人の子育てを振りかえって、何度も挫折して、反省して、繰り返して。
わかったこと。
子どもの行動をしばらく見て、ほっておく努力を。
じれったくて思わず、
「やってあげたい」と思い上がりが、むくむく湧いてきて
その時は手を出してしまうこともあるだろう。
うざい母だと思われていい。実際子供から「うざい」と言われるかもしれない。
その時は親子の関係だ。失敗してみるのだ。
そこからまた考えればいい。
「何が欲しいか?」聞かなくていい。
何かしてあげたい時は、やってあげる傲慢な母でもいい。
その時には必ず、何も言わず「見返りを求めないこと」。
例えば、勉強中の受験生に温かい飲み物を机の上に何も言わずそっと、置く。
飲むとか飲まないとか、そんなことはどうだっていい。
掃除機をかける子ども部屋が散らかっていれば、机の上に床のものを放り投げてもいい。
それでも、物は捨てない。
「机が汚くてさぞかし効率が悪いだろう」と子どもに嫌味の一つでも言ってやろう?!
それでも片付けない子供に本気で怒らない。机が物で溢れかえっていてもいい。
自分の机が物置化し勉強しない子、我が家にも一人いる。そんなもんだ。
床さえ掃除できれば。と思う自分都合の傲慢さも、時に必要。
待つことは根気のいることだけれど、
その時間に子どもは考えている。
答えを出しているのだ。
子どもを信じよう。
これが真の子育てだと思う。