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2020.02.29PTAってこんなところ/ vol.1

 

この時期になると話題にのぼる

「PTA役員問題」。

ネガティブな情報ばかりですが、「それ、違うよ!」と異を唱えたく。

 

というのも現在、子どもの小学校のPTA会長、2年目。

 

ことPTAに対しては一冊本が書けるくらいのネタと情熱を持っています。

ということで3回シリーズ(これでも少ない笑)で「PTAとは」をお伝えします。

これから覚悟を決める人、どうしても逃げたい人、くじ引きで当たったら諦める人。

そんな方に読んで欲しい。

いつもは片付け中心の話ばかりだから、PTAに興味のない方ごめんなさい。どうしても書きたいから書きます。そして私見的、長文になります。

 

【実は「PTAなんて大嫌い」だった】

我が家の4人の子ども、高校2年〜小学1年。

卒業生もいますし、子どもよりも長い時間、10年も小学校に通っています。

長男の小学校入学時、初めてのクラス役員決め。もちろんやるつもりはない。そのために普段は姑に預ける三男を抱っこして参加しているのだから。

その時役員は逃れたけれど人数要請のため、友人から「手伝って」と言われたクラス役員仕事を手伝ったある日のこと。

PTA室での作業だったのですが、当時の本部役員(クラス役員の上層部)が隣のテーブルで何やら会議をしていたのですが。その様子が、喧嘩?ケンケンガクガク、意見のぶつかり合い、お互い譲らない、なにか物が飛んできそうな雰囲気??

「ひゃ〜〜〜PTA本部って恐ろしいおばちゃんたちの集まりだ〜〜。」と 10年前の私は思ったのです。

(今になって思うのは一生懸命、子ども達のため、保護者のため、学校のため、話し合っていたこと。と想像できるのですが)

そんな経験があって、一人目の役員は6年間ほぼ、一回も役員らしきことはやり遂げないまま逃げるように、卒業。

 

逃げると、逃げただけ、罪悪感ができるものです。

PTAは、あくまで【任意】の団体。

その後、三男のクラス委員を1年間引き受けた後、本部役員のなり手がいないことで本部役員(執行部)を引き受けたのが運の尽き。

当時会長候補がいなく、何度か断ったのですが、内部から推薦され、やむなく会長に。

会長確定、覚悟を決めた私が思ったのは

「10年前に見た、あんな怖い雰囲気のPTAにだけはしたくない!」と。

私にできるのはこれだけ。

「絶対、和やかでフラットで丸いPTAにしてやる!」と。

 

それまで、子育てで困っていた時に助けてくれた、地域の人たちにも恩返ししたかったのも、会長になる決断を後押ししました。

もちろん家族は大反対。「家庭内崩壊だ」と主人。「学校に来ないで恥ずかしいから」と当時小4息子。

主人は忙しいと私がイライラするだけでなく家事や仕事にも影響が出てくると当然思ったようです。

息子の意見はスルー。これは「私が」決めたことだから。

反対されれば反対されるほど燃えてきて。負けず嫌いの顔がのぞきはじめました。

 

逆境に打ち勝つ。

ライバルは自分だ。

変えるんだ、そのために動くんだ。