
年老いた親と向き合う。
先日、実家に出向き
両親、ケアマネジャー、私の4人で面談した。
いつも電話で話すケアマネジャーから、
面談の話を持ちかけられていたので、
今回初めて会う事にしたのだ。
何てことはない。
両親の様子と今後の事、介護サービスの利用状況など、
あとは、娘である私の意思を確認した。
一年ほど前から
月に一回、定期的に実家には帰るので
両親の様子は話の端々から感じてはいる。
最近になってようやく“まともに話せる”ようになった。
特に父は厳格な人間で、私が成人するまで
怖くて話しかけられなかった。
成人してからは何度か酒を酌み交わしたりもしたが
お互いに会話を楽しむ事はあまり無かった。
それが今になってやっと対等に話せる。
これも介護が必要になった事での副産物である。
病気で身体が思うように動かない。
時間とともにあちこち不自由が増えていく。
自分(父)が先に亡くなり、残された認知症がある母を残す事が心配でならないようだ。
「先にお父さんが亡くなるなんて、そんなの決まったものじゃないわ」
と父に真っ直ぐ言える。
人の寿命など誰もわからない。
今回ケアマネジャーを交え、老人ホームの話をした。
夫婦で入居?風呂は?看護師は常駐?など。かなり具体的な内容。
本人なりに希望があるので尊重しつつ、今後のもしもの話をした。
現実的に具体的に話ができるのも、介護のプロがいるから。
自分たちで出来る限り
今の家に少しでも長く居たい。
両親の気持ちはわかる。
老いると、だんだんと自信が無くなる。
自分でもそれは感じるが、親の世代だとまたさらに大きな不安になる。
「忘れていく事が怖い」
認知症がある母が、私に言った。
以前、実家に帰る時の事。
昼ごはんを実家で一緒に食べようと惣菜を買った。
実家に居る母に、車の中から電話口で、炊飯を頼んだ。
「うんわかった」
そう言って実家に到着したら、炊飯どころか米も無かった。
ああ、そうだった。母の状況をやっと飲み込めた。
さっき話した事をすぐに忘れる。
短期記憶は著しく忘れっぽい。
しかし30年、40年前の、遡って自分が幼少期の頃の話は
昨日の事のように鮮明に覚えている。
認知症というと
全て急に記憶が無くなるイメージがあったがそうではない。
過去の出来事や今思っている不安を具体的に口に出し
母は現在できる事を取り戻そうとしている。
悲観的になる事はないが、
とにかく話したいだけ話す事が、
母にとっての支えになるだろう。
読んでいて
だんだんと暗い気持ちになっていないだろうか。
大丈夫?
実際には、両親と話していても明るい話題などない。
今後の見えない不安や不満や心配ばかり。
夫婦だけで暮らすのは、視野が狭くなり思考も巡りが悪い。
ウチだけでは無いはず。
介護のプロの方々、
ケアマネジャー、医師、看護師、理学療法士、ヘルパーなどのお力で
現状、暮らしを支援していただいている。
離れた土地に暮らす娘の私が出来ることは
家事や、本人たちと話して元気づける事、くらいだろうか。
「3歳児(の頭)だ」と父が母の悪口を言うものなら
「(昔まともに出来なかった)育児ができたと思えば良いじゃない」
と、すかさず笑って突っ込む。
他人では言えない、娘だからこそ言える言葉だ。
娘の特権。
昔がどうだったか。は、もうどうでも良い。
親子と言う関係を飛び越えて、人間同士の付き合いを見直す。
介護サービスのありがたさを感じつつ
出来る事を無理なく、と誓った帰り道だった。