先日、中1の娘と秋冬の衣類を何着が購入した。
娘の箪笥引き出しには、すでに夏用ボトムが100%入っており、
新たな購入したボトムは、これ以上引き出しには入らない。
母であり、片付けのプロでもある私は
引き出し内の“履いていないボトム”は何着かあるのは
把握していた。
購入したタイミングで
「引き出しの中、買ったズボンが入らないから、どれか要らないものあったら出して」「(勝手に)捨ててもいいし」
しばらくして
娘が引き出しから、“捨てるボトム”を
キッチンで夕飯を作っている私の前に出してきた。
見て見てー。と。
「これ、捨てようと思っている」
そのままゴミ箱に直行でも良いが
娘は私に持ってきた。
ちなみに、娘に持ってきてと「強制」はしていない。
そして
娘に“捨てる理由”を聞いた。
ああ、面倒くさ?
捨てるにも理由が必要か?
自分の感覚で捨てれば良い?
「理由」は必要だ。
何故なら「言語化」モヤモヤを細分化、する事で、
暮らしを改善に導くから。
3本のボトムを持ってきた。
どれも“以前はよく履いていたが今はめっきりご無沙汰”なボトムたちのようだ。
ほうほう。
一つづつ手に取り確認した。
「これはね履くとキツくなる」
「これはね肩紐がずれ落ちる」
「これもキツくなったから捨てる」
3本目のキツくなった、と言うボトムは
よく見ると一昨日も履いていた。
「あれ?これ一昨日も履いていたじゃん。キツいの?」
「そう、太ももがキツいけど履いていた」
無理して履いていたのか。
節穴の目を持つ、母である。
娘の判断を深掘りせず、そのまま受け入れた。
そりゃ、中学生だ。
夕方帰宅すれば「お腹空いたぁ」と
軽食を食べて、塾に行く。
で、夜帰宅したらまた、夕飯を食べる。
成長期も相まって身体つきもしっかりしてきた。
そりゃズボンもキツくなるわけだ。
新しいズボンは彼女の身体にピッタリと沿うように
おさまっている。
捨てた3本のボトムは、
半年前以前の小学生の頃から履いていた。
「よく着ていたけど、もう十分お役目ごめん、ね」
娘に声を掛けて。
たかがズボン、とお思いだろうが、
彼女なりのストーリーを築き、ともに暮らしてきたボトム。
娘は頷きながら、これらをゴミに入れた。
「ありがとう〜バイバイ」
今回、子どもの成長を感じた片付けを紹介したが、
他にも
「友人の整理をしたいから、これまでの住所録を見直す」
「イメージを変えたいから、新しい家具にチェンジする」
「新しい資格を取りたいから、古い本棚を一掃する」
など。
物を捨てる時に「あなたの言葉」を添えて。
外野から言い訳?屁理屈?と言われようが、何だって良い。
何よりも
言葉にしてはじめて、宣言なり、覚悟なり、納得が出来る。
環境を自分を変えるためのステップだ。
独り言でも良いが、
家族がいれば、共感して正当化してもらえる、はず。
(ん?してくれない??)
一人では捨てるのに躊躇する方。
捨てる事に常に罪悪感を持っておられる方。
環境を変えたいが何から始めたら良いのかわからない方。
ぜひ、お試しいただきたい。