当たり前を見直す。
今日は
日頃からお世話になっているクライアントから
いただいた質疑応答と片付けの内容を一部シェアする。
ダイニングのチェスト収納。
引き出しの一段から年賀状が大量に出てきた。
拝見したところ
5年以上前だったり、写真付きだけを輪ゴムでまとめてあるもの、自分たちの書き損じもある。
「金内(さん)のお宅では、年賀状をどう管理していますか?」
年賀状の持ち方は人それぞれ、が前提としてあるが
答えた。
「ウチは年賀状じまいを3年前からしておりまして、、」
続けて
「基本的に昨年、良くて2年前くらいあれば充分ではないでしょうか。
5年以上前の年賀状を送られた方とは今でもお会いしている方ですか?
写真も捨てがたいとは思いますが、また年賀状を送られてくるのならば更新してもよろしいかも、ですね。
書き損じは郵便局で切手に交換も出来ます」
いただいた方との繋がりを大切にしつつ、
年賀状という「紙」をいかに更新すれば暮らしは楽になるか。といった話をした。
物を整理する事で
体だけでなく、頭も相当使う。
「要る?」「要らない?」
単純な自分と物への問いかけだが、
それが3時間、5時間も続けば頭の中がヒートアップしてくる事も少なくはない。
疲れたら、途中で休憩を入れる事にする。
そして、
またひたすら仕分け。
とうとう、クライアントから
片付けの際
「物に飲み込まれそう」と発言があった。
時計を見ればあと終わりまで30分を切る時間帯。
ラストスパートでもある。
稀に、こちらも鬼になる事もある。
「物に負けちゃダメです。向き合って下さい。」
叱咤激励する。
我ながら厳しい言葉だが、
時と場合によってはこう言った言葉も使う。
物との付き合いをより良くして欲しい。
そんな思いでこの言葉を伝えた。
玄関の下駄箱前にて。
腰高の下駄箱上に積み上げられた新聞を
「どうしてもここに置いてしまうんです。どうしてでしょう?」
と、質問があった。
「腰高の位置にある棚、というのは使いやすい反面、
物を置きがちなんです。帰宅後ホッとしたのかも知れませんね」
と伝えたら
「ああ、なるほど。それもそうですね。
あと、今思ったのですが、リビングに新聞を持って行ってささまうと、リビングがまた散らかるからそれが嫌、だったのかも知れません」
記憶を辿るように語ったクライアント。
意外な視点、だった。
散らかりたくないから、ここ(下駄箱上に)置く。
なるほど。こちらも納得した。
クライアント自ら片付けが出来ない理由を分析し
言葉にあらわす事によって、明確になった。
片付けはコミニュケーションだと、つくづく思う。
1人でモノや気持ちに向き合うようで、そうではない。
誰かと共有したり、弱みを見せたり、疑問が解決する。こともある。
あなたのお宅ではどうだろうか?
笑顔のクライアントが増えるよう、日々精進したい。