朝の情報番組で
ある二世タレントが、
現役で活躍している自身の親について
「親を尊敬している」と話しているのを見た。
尊敬される親、、かぁ。
私は子どもに「尊敬されるような親」にもなりたくない
(到底なれない)し、どちらかと言うと
子どもに少しガッカリされるくらいの親で良い、と
本気で思っている。
はじめて親になった時の事を思い出す。
プレッシャーに押しつぶされた。
私自身
今でも超ポンコツ人間だからだ。
何をするにも出来ない事が多すぎる。
子どもに勉強を教えられない。
4人も子育てしていて車の運転が出来ない。
目の前の子どものSOSに気が付かない。
それを認めたくなくて、
子どもの前では「ちゃんとした親」を振る舞おうと必死だった。
そんなものはすぐにバレる。
子どもとてそんなにアホではない。
むしろ、小学校3、4年あたりから
あっと言う間に、
知力・体力・精神力、全ての方面から子どもたちに抜かされる。
「ママに話しても理解してくれない」
ある時、子どもからそんな言葉をもらった。
落ち込んだ。
一番の理解者でありたい。
願いも虚しく、理想が崩れた瞬間だった。
そんなダメな自分が残された道。
開き直る。それ以外ない。
突っ張らない。これを実践した。
だんだん難しくなる勉強の不安を抱えている娘に対しては、
「大丈夫、見てみ。ママだって、こんなに勉強ができなくてもなんとか生きていける」
と笑い飛ばし
「今でも学歴コンプレックス」がある事や
「テストで赤点をとる」事や
「わからない授業を座って聞く地獄のような時間」
は勉強が出来なかった私だから伝えられる事だ。
これくらいしか励ませないが、
こうはなるまい。と少しでも反面教師になると良いのだが。
勉強は塾に。
進路は夫に。
他者に委ねると、
自信が無かった自分の精神状態が安定した。
つまるところ、いろいろ育児のせいにしていたが
自分のコンプレックスとの闘い、これだけだった。
夫が言った。
「子どもと言っても、他人。
一人一人の人生があって、親っていうのは
そこにたまたま入り込んだ登場人物の一人に過ぎない」
最初は現実味のない夫の言葉に、理解する事が出来なかったが
そうか。
家族でもいずれは離れ離れになる存在、なのだ。と
ようやく最近になってわかった。
子どもの人生に「親としての立場」で関われること。
学校行事や試合観戦の参加など。
夫曰く
「覗き見しているような感覚」でもあるそうだ。
小さい頃は煩わしくも感じた
トイレにまで着いてくるハイハイ。
おんぶで肩にのしかかる体重も。
睡眠不足で公園に連れて行く事も。
今では懐かしい思い出だ。
親としての役目が終わると同時に
未熟であった子どもが大人になる。
特段、仲が良いわけでも悪いわけでもない親子関係だが、
大人として決して立派ではない親と
それを淡々と受け入れる子どもたち。
個々としてそれでも
独立した人間同士の付き合いは変わらずにいるだろう。