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2025.03.24風通しが良い【親子関係】のつくりかた

 

 

朝の情報番組で

ある二世タレントが、

現役で活躍している自身の親について

「親を尊敬している」と話しているのを見た。

 

尊敬される親、、かぁ。

 

 

私は子どもに「尊敬されるような親」にもなりたくない

(到底なれない)し、どちらかと言うと

子どもに少しガッカリされるくらいの親で良い、と

本気で思っている。

 

 

 

 

1   未熟な親という事実

 

はじめて親になった時の事を思い出す。

プレッシャーに押しつぶされた。

 

私自身

今でも超ポンコツ人間だからだ。

何をするにも出来ない事が多すぎる。

 

子どもに勉強を教えられない。

4人も子育てしていて車の運転が出来ない。

目の前の子どものSOSに気が付かない。

 

それを認めたくなくて、

子どもの前では「ちゃんとした親」を振る舞おうと必死だった。

そんなものはすぐにバレる。

 

子どもとてそんなにアホではない。

むしろ、小学校3、4年あたりから

あっと言う間に、

知力・体力・精神力、全ての方面から子どもたちに抜かされる。

 

「ママに話しても理解してくれない」

ある時、子どもからそんな言葉をもらった。

 

落ち込んだ。

一番の理解者でありたい。

願いも虚しく、理想が崩れた瞬間だった。

 

 

 

2   体現して励ます

 

そんなダメな自分が残された道。

 

開き直る。それ以外ない。

突っ張らない。これを実践した。

 

だんだん難しくなる勉強の不安を抱えている娘に対しては、

「大丈夫、見てみ。ママだって、こんなに勉強ができなくてもなんとか生きていける」

と笑い飛ばし

 

「今でも学歴コンプレックス」がある事や

「テストで赤点をとる」事や

「わからない授業を座って聞く地獄のような時間」

 

は勉強が出来なかった私だから伝えられる事だ。

 

 

これくらいしか励ませないが、

こうはなるまい。と少しでも反面教師になると良いのだが。

 

勉強は塾に。

進路は夫に。

 

他者に委ねると、

自信が無かった自分の精神状態が安定した。

 

つまるところ、いろいろ育児のせいにしていたが

自分のコンプレックスとの闘い、これだけだった。

 

 

 

 

3  ただの 登場人物の一人

 

夫が言った。

「子どもと言っても、他人。

一人一人の人生があって、親っていうのは

そこにたまたま入り込んだ登場人物の一人に過ぎない」

最初は現実味のない夫の言葉に、理解する事が出来なかったが

 

そうか。

家族でもいずれは離れ離れになる存在、なのだ。と

ようやく最近になってわかった。

 

 

子どもの人生に「親としての立場」で関われること。

学校行事や試合観戦の参加など。

 

夫曰く

「覗き見しているような感覚」でもあるそうだ。

 

 

小さい頃は煩わしくも感じた

トイレにまで着いてくるハイハイ。

おんぶで肩にのしかかる体重も。

睡眠不足で公園に連れて行く事も。

 

今では懐かしい思い出だ。

 

 

親としての役目が終わると同時に

未熟であった子どもが大人になる。

 

 

特段、仲が良いわけでも悪いわけでもない親子関係だが、

大人として決して立派ではない親と

それを淡々と受け入れる子どもたち。

 

 

個々としてそれでも

独立した人間同士の付き合いは変わらずにいるだろう。