怒りを片付けのエネルギーに。
「怒り」というと
やってはいけない事、タブー視する人も多いだろう。
怒る奴は馬鹿だ。
怒るのは愚かだ。
怒りは破壊する。
なんとでも言え。だ。
私がこうやってブログを書いて発信しているのは
怒りから来ている。と言っても過言ではない。
怒りは行動の原動力だ。
そして
片付けの原動力にもできる。
確かに怒りは
攻撃することで破滅に導くこともあるが、
コントロール次第で行動力に導くこともある。
なんでも良いが、
とっかかりに何か一つだけ片付けを始めてみる。
紙袋に入った衣類をリサイクルショップに持って行く。
遊ばなくなった子どもの砂遊びセットを処分する。
洗面台下の空のシャンプーボトルをゴミ袋に入れる。など。
リサイクショップで不服な買値をつけられても
砂遊びセットをパートナーから「なんで捨てるの?」と言われようとも
ボトルをゴミに入れたまでは良いが玄関に置いたままゴミ出しに出し忘れても
良いのだ。
そんなことは「うるせー」と無視。すれば良い。
ここまでやってきたこと出来たこと、を肯定せよ。
なぜ片付けが良いのか?
それは誰も傷つかない、怒りだからだ。
自分が買った/もらったもの。
不要かどうかという自分の判断。
溜め込んでしまった事実。
期限を過ぎた事を忘れること。
捨てる事に躊躇する自分。
ぜんぶ自分が決めたこと。
自分に怒りを覚えるかもしれないが
外に怒りを向ける判断材料が一つもない。
また事実だけ見たら、淡々と片付けができるのが最大の魅力だ。
訓練次第で、感情抜きで行動できる、というわけだ。
怒りは自省し、自制し、自誓する。
自分のことばかりで落ち込んでいないだろうか?
クライアントとの会話の中で
「ダメな自分が嫌だ」
「捨てられないのは性格のせい」
「親にしつけで片付けを押し付けられた」
そんな声も聞く。
1でも伝えた、まず小さくても行動することが大事だ。
そこから
「ああそう言えば」「こっちも片付けようか」「期限を決めてやろう」と
芋づる式に片付けができるはずだ。
以前、ずっと何時間も片付けの愚痴を言っていて、
何も行動しないクライアントがいた。
口ばっかりで一歩も動かないのだ。
痺れを切らして
「このままでは片付きません」「あと何時間でキッチンのカウンターと引き出しを片付けましょうか」「よろしいでしょうか」
半ば無理やりだったかもしれないが、
なんとか“形”にしたらクライアントの気持ちが変わるかも。
と思って提案・確認して行動を促した。
やってみたものの、案の定、彼女は何も変わらなかった。
片付けたキッチンを見ても表情一つ変えることもなく
それでもなお、片付かないことの文句を彼女は言い続けた。
これは私の提案の仕方が悪かったのかもしれないが
行動(しようと)しない人間は何も変わらない。
未熟だった当時の私でも、はっきりとわかった事だ。
住まいや環境や他人のせいではないことがお分かりいただけだろうか。
文句を言いたいなら一生言っていれば良い。
言い続けることで
変わりたくないのだろう。そうやって安心したいのだろう。
しかし
自分に落とし込める覚悟ができない人間は一生片付けることができない。
怒りを込めた私からのメッセージだ。