ぼんやりとした頭で
ふと目線が向いた電車広告。
「父の日」を思い出した。
・・・SUNTORY 広告・・・
パパになって
初めての父の日。
ふと思い立って
父に電話した。
父は角瓶を飲んでいた。
話は盛り上がらなかったけど、
電話を切る時に
「ありがとう」と
父は言った。
父さん、
いつもありがとう。
6/15 SUN
父の日
角の日
・・・・・・・
サントリー角瓶の広告。
車内、ということもあり撮影はしなかった。
広告の文章を自分のスマホメモに
一語一句、間違えないように書き込んだ。
「いい文章だなあ」と思ったのだ。
このストーリーの「続編」の広告が追加されたのを、見かけたが
間に合わなかったので、こちらはメモしていない。
電車の中で見つけたら、ぜひ読んで欲しい。
ここでは父と息子のそれまでの関係性や
父になった息子が「父の気持ち」に気づいたり
家族の中では疎外感さえあるだろう、父の存在。
「どこにでもある話」と、電車内で一人、思わずフッと微笑んでしまった。
5月の第2日曜日の「母の日」に対し
6月の第3日曜日の「父の日」はとても地味だ。
ともすれば
「あ!今日は父の日だった」と当日になって、やっと思い出すことも
これまで何回もあった。
父親という存在自体が、
家庭の中であまり目立つ存在ではないことを、先ほどの広告にもあらわれている。
母には恒例のカーネーションなど。
父には・・・?
何を贈っていたか?
大昔、ポロシャツや甚平やビールグラスも。
いつもプレゼント選びに悩んでいた。
「何が欲しいのか本当のところわからない」。
結婚して特に子供ができてからは、ほとんど、と言うほど贈っていない。
それほど父に無関心だった、のだ。
私には実父と、結婚して夫の父・舅、の二人の父がいる。
どちらも昭和20年前後生まれの、団塊世代「昭和のオヤジ」だ。
二人とも共通点がある。
会社員時代は、大酒飲みで
タクシーの運転手から連絡があり、
夜中の2時にグデングデンになった父を、タクシーの車内から母と私の女二人で抱き抱え連れて帰ったことが何度もあった。
家庭では子供(私)たちに慕われるどころか、煙たがられる。
日曜は死んだように寝るので、休日家族で出かけることもあまりなかった。
妻には威張りくさり、リモコン代わりの如く、こき使う。
そんな父を見て子どもたちは尊敬するだろうか?
当然、歳をとってもなお、妻まかせで家事が全くできない、二人の父である。
そうは言っても、夫婦がずっと同じように時を過ごすわけでも無い。
妻(母)だって、
物忘れが増える。入院することだってある。夫以外の人と旅行に行く。だろう。
妻だって歳をとり、家を空けなければならないハプニングがあり、やりたいことをやる。のだ。
そんな時、夫である、父たちの不甲斐なさ、落ち込み様、を見てしまうことがある。
見たく無いものを見てしまったような、感覚。
「もう〜。本当にお母さんが居ないと何にもできないんだからぁ」
娘として、50過ぎになったからこそ、こんなダメオヤジを笑って叱れるのだ。
母不在の時は、父と一緒に洗濯物や食事など、できることをする。
私だって、親にイラついていた昔の娘時代とは違う。
歳をとって、許せるようになった。
父には、唯一、尊敬していることがある。
なんだかんだいって、
これまで私たちを育ててくれたこと。
父さん、ありがとう。