夕刻、家の電話が鳴った。
私は取らない。
取れない。と言ってもいいだろう。
5分後もう一回、さらに10分ほど後にもう一回。
計3回ベルが鳴った。
相手は多分同じだろう。
きっと家族だ。
けれど3回とも電話の近くにいたが、取らなかった。
離れた場所で、鳴っているベルに反応し、
小6の娘が二度目のベルで取ろうとしようとしたが、制止した。
「ありがとうね。今仕事で忙しいから取れないんだ。いいよ。取らなくて大丈夫」
と言葉をかけて、そのままベルを無視した。
ちょっと前まではベルに反応して、子供の手前ということもあったかもしれない
教育的になんかと言い訳がましく、律儀に受話器を取っていた。
それが取材の打ち合わせの最中だって、だ。
受話器を置いた時、必ず出てくるのはため息と後悔。
ああ、取らなきゃよかった。
忙しい時間帯になんで対応したんだろう。と自分に苛立つ。
家にいる時間であっても
リモートワークやクライアントのメール対応、こうやってブログを書いている時間だって立派な仕事だ。
在宅していればヒマ、な訳ではない。
もちろん先方はそんなことわかっている訳がない。
ある意味、ときに電話のベルが暴力的にさえ感じる。
自分の時間を奪っていく通話。
なぜ家の固定電話があるかというと
現在は家族全員スマホを持っているが,
最近になって末っ子の小6の娘がスマホを持ち始めた。それまでは主に留守番の娘との連絡は家の電話だった。
仕事後に私が外から家の電話にかけ「これから帰る」「そちらは問題ないか」状況などを娘と通話していた。
でも今はその必要はない。無くしてもいいのかもしれない。
たいてい家にかかってくる電話はどうでもいいものばかり。
「ご自宅にリサイクルできるものはありますか?」
「お子さんの塾はいかがですか?」
「将来のお墓ってお考えですか?」
欲しかったら、必要だったら、自分で調べて「こちらから」お願いする。
正直、イラっとくるが
それでも最近は穏やかに対応する様になった。
「当方片付けの仕事しておりまして。そう言ったものは無いんですよね。失礼致します〜」と終わらせる。
相手も仕事だ、こんなババアに怒られる筋合いもない。
それに長男次男、息子たちが成人したのも理由として大きくある。
見知らぬ相手だって人の子だ「この人が息子だったら」と置き換えることを、電話だけでなくあらゆるシーンで考えることもよくある。
話は逸れたが
受話器を取る。
それもこれも
自分が選んだ行動。
責めるなら、相手ではなく、自分を責めろ。だ。
そんなことで、
自分の状況で判断して電話が鳴ったら取るか取らないか決めることにした。
夕刻はデスクワーク仕事のほか、
洗濯物取り込み&畳み&収納、アイロン掛け、夕飯の支度、連絡帳とプリント確認、
シンクに溜まった食器を洗う、など。
イレギュラーの用事が入らなくても、尋常じゃないほど、忙しい。
そんな中、電話対応が3分くらいで済むなら、まだいいのだが、
前途した夕刻時間帯に夫の実家からの電話が、たまにあり、その後自転車で5分ほどかけて実家まで食品をもらいに伺うことがよくある。それだけでは終わらない。もらってから積もる話だってある。食材をいただけるのはありがたいのだが、このタイミングはきつい。
LINEだって繋がっている。時間だって今でなくてもいいはずだ。
だから受話器は取るな。と心する。
自分自身でコントロール可能だ。
相手に大切な時間を委ねるな。
自分で自分時間を作れ。
おかげで本当にストレスフリーな超・効率時間が現れた。
さて、今夜でも家族会議で固定電話を置いておくか否か、検討しよう。