今年もあとわずか。
みなさまいかがお過ごしだろうか?
年末に向け、せわしなく日々を送っておられる方も多いだろう。
さて、少し早いかもしれない。
年賀状の話。
年賀状じまい、なんて言葉も定着してきたこの頃。
「年賀状じまい」で検索すれば、「例文」と続く言葉に
やめたいけれど、やめる言葉をいかに?とお悩みの様子。
年賀状じまいの葉書の印刷代行業者が、皮肉なことに売れ行きが好調だそうだ。
本家、郵便局HPにも「年賀状」についての記事掲載があり、
やはり「書く挨拶」として残したい模様。
TVCMでもあったが、
年賀状の印刷作成代行がサービスの一環としてあるようだ。
そもそも
やめるも、続けるも、
代行してもらってまで “やらなければならない” ことなのか?
自分が小学生の頃は
父宛の年賀状が100以上あった。
退職した現在は数えるほどしかない。
当時の父曰く、100あったうちのほとんどが仕事関係。
あれだけ年賀状をもらっても
誰が誰だか分からない人もいた。ようで。
なぜ顔を思い出せないとような相手に、付き合いとは言え出すのか?もらうのか?と
子ども心に思ったことがある。
なんで出すのだろうね。
相手を想っているようで
ほんとうは
自分のことを覚えておいてほしい?自己顕示欲?
言い過ぎだろうか?
もらっても嬉しくない年賀状、っていうのもある。
・ひとことが書いていないプリントしただけのもの
・営業サービスのもの
・「今年こそ会おうね」と言っておきながら何年も会っていない。会う気のないもの
年賀状だけにあらず。
年賀状から見える人付き合いのあり方、だろう。
そんな付き合いは、とっととやめた方がいい。
また年賀状ソフトを前に、ため息ついていないだろうか?
そんなにやりたくないのだったら、やめればいい。と思う。
先ほど言ったように、義理でもらっても「嬉しくはない」
年代でも如実にわかる。
私たちの子供世代(10代20代)は
ここ何年も年賀状がポストに一通も入った試しがない。
小学生の娘には友人から何通かきたが、兄3人の男子に至っては皆無だ。
強いて言えば、塾からの激励の年賀状だけだ。
我々夫婦には何通か来ているが
こちらからは出さない。
もう、かれこれ5年ほど。
その場合は
メール/LINEで「年賀状やめた旨」と共に返信する。
流石にもう「表明」しているので、
それでも毎年送って来られる方には年賀状をもらっても「スルー」している。
年賀状じまい、したいのに、しまえない。
相手あったのことだ。
送る方・もらう方。
双方の熱量やバランスが崩れた時こそ「やめ時」だろう。
送る情熱があり、もらう方も嬉しい。
そんなやり取りが理想。
送るのめんどくさい。
もらっても嬉しくない。
年賀状ホルダー買ったのに毎年入れられない。
まさに「やめどき」だ。
本当に出したい/もらいたい人との繋がりだけでいいのではないか?
そういう付き合いは、普段からこまめに連絡もとっているし会っているし。
年賀状だけで終わらない。
それでも年賀状をきっかけに
こんな時期しかできないだろう
「人間関係の整理」をしてみるのもいい。
来年はまたさらに、風通しの良い人間関係を築けるはず。
やるなら、今でしょ。