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2024.09.05生きることに【執着する】シニアの片付け

 

先日、80代のお客様宅の片付けに伺った時の出来事。

 

寝室にある背の高さ以上にもなる、本棚の整理をしました。

本棚には本だけでなく、文房具、手紙類、書類などがあり、

ただ物を処分するだけでなく、

お客さまと「安全な配置」をご相談しながら、物の居場所を決定していきました。

その際に、棚にはもともと安全バーなどが設置されておらず、

こちらで棚の側面にネジをつけて紐でネジの部分にくくりつけ、

棚板の下部分近く、物が落ちてこないように

簡単ではありますが、即席安全バーを作りました。

(ご自宅にあれば細い突っ張り棒なども有効です。ぜひご利用下さい)

(イメージ写真)

 

 

お客さま「これで寝る時も安心して寝られるわ」「ありがとう」

「こんな歳なのに、生きることに執着するのもおかしいけれどもね」

金内「・・・そんなこと、かもしれませんが、執着すること大事だと思います」

 

 

80代、世間では《終活》と呼ばれる片付け、でしょう。

身のまわりを整理して、残された人生をより良く生きるために。

とイメージはまあまあ、できるのですが

同時に、いかんせん後ろ向きなイメージが付き纏い

お客さまにだけでなく普段から使わないようにしていました。

なんだか寂しいじゃないですか。終わるって。

 

この会話をきっかけに今までの終活に対する気持ちが少し変わり

「いや、違うんだ」と思い始めています。

 

死」があるから「生」に執着するのだ、と。

生きること、にこだわる、と言ってもいいかもしれない。

 

子供や孫たちに迷惑をかけたくない。

自分らしい死に方をしたい。

いつ何があっても安心できるようにしたい。

 

そんな声を、何人かのシニアの方から伺います。

 

 

最近では《墓友/はかとも》と言って、

共同墓地に一緒に入る前提の、

まったくの赤の他人同士の「交友」「集まり」などもあるそうです。

生前の、血縁関係なしの「出会い」。

 

死んだら終わり、じゃ、ない。

死んでも繋がり/ご縁、を大切にする。

前向きなこの言葉を、理解するまで少し時間はかかりましたが

 

終活はネガティブなことじゃない。

案外、ご本人たちは私が思う以上に「死」に対してドライに受け入れている。

と感じます。

 

 

なんとなく40、50代の私たちは、まだ先のこと、と思うかもしれませんが、

老いていく親を見て、思うように体が動かなくなる、転んで骨折する、病院通いが増える、介護保険を使うようになる、同じことを繰り返し話すようになる、などなど。

受け入れるしかないのですよね。

 

同時に、自分もそうなる覚悟も必要だと。

そうなると、終活は今からでも始めた方がいいかもしれませんね。

終活として捉えずに、身の回りの整理だったら受け入れるだろうか。

 

同世代の友人知人とは

「子育てがひと段落したと思ったら、次は親の介護か」と

冗談まじりに話します。

 

女の一生は子育てに親の介護に、

家族に尽くすだけ、ではありません。

 

 

自分のために生きる。

自分らしく生きる。

人間らしく生きる。

 

いくつになっても

生きることに、大いに執着しようではありませんか。