私ごとですが、友達が少ないです。
どのくらい少ないか?というと
ここ1年間でランチや飲み会はたまた立ち話など
個人的に会った友人は4、5人です。
年々減ってきているかもしれません。
友達の定義、も難しいところではありますが、
私の中では、1年間のうちでプライベートでちゃんと喋った・関わった人のこと。を友人としています。
そんな少ない友人とのおしゃべりも、濃く深く、時にライトにかわすこともあり
それなりに充実していると自負しています。
友人たちとの話の中ではあまり自分から他人の悪口は言わないようにしています。
なぜなら数少ない友人に嫌われたくないから。
嫌なことを思い出して過ごす時間がもったいない。どうせなら楽しく過ごしたいから。
では、
日常の愚痴、他人の悪口はいつ発散するのか?
嫌なことを溜め込まずに、解消できる人、そんな人いるかしら?
私の唯一の愚痴悪口を言う相手は、主人です。
きっと「男脳」ってあると思うのだけど、男性って
愚痴や悪口に対してアドバイス結論を求めたがる傾向にあると思う。
結婚当初は黙って聞いてくれるだけでいいのに・・・!!とそこに対しても怒りが込み上げて
話してそれで終わりでもいい、と思う共感を求める女脳の私との対立
あらぬ方向にいってしまうこともあったっけ。
そんな結婚24年目。
お互いの嫌なことも、そろそろわかってきた最近です(遅っ)
愚痴悪口は自宅内、ダイニングで話し始めますが
当然そこには子供達が聞いている場所でもあります。
悪口を子供に聞かせるなんて不届な親かもしれません。
以前「子供の前では絶対に悪口を言わない」と言っていた
親の鑑のような知人がいましたが、そこは本当にリスペクトしています。
しかし、言わずにいられなーーーい。
ここでは書けないほど、汚い言葉も時に出てくる悪口。
「また言っているよ、うちの母」子供は思うでしょう。
未熟者、と思われても仕方ない。
ただ、どうせ聞かれるからには、私なりに悪口の流儀なるものを立ててみようじゃないか。
と思って実践しています。
①「事実」に忠実になる
ああなんじゃないか、きっと〇〇に決まっている。
想像で物事を考えると、
本当に「醜く」なることを、自分でも十分にわかっています。
実際にあった「事実」ああだった、〇〇だった、と言うことに重きを置いて話してみると聞いている主人も話を冷静に聞いてくれます。
②他との差異を洗い出す
他人との価値観なんて違って当たり前。
言えずに持ち帰った悪口は
他人の考え方をある程度理解する努力は見せつつも
「わたしだったらこうする」の主張。
差異の中に、私の思い込み、支配・依存などがないかを反省する。
③あなたはどう思う?他者の意見を聞く
愚痴悪口なんて独りよがりのこともよくあります。
ぜーーんぶ吐き出したら、最後に主人の考えを聞きます。
大抵は呆れて「どうでもいい」って態度なんですけれど、それでもいい。
間違っているか、どうか、正しさを求めずに
一緒に悪口を言ってくれるだけでもだいぶ救われます。
やはり、共感を求める女脳、なんでしょう。
最後に
ESS(英語の討論などを活動としたサークル)に所属していた、長男(大4)が
ディベートと呼ばれる、相手に対しての議論は「その人の持っている“人格”ではなく、それをしている“行動”“言葉” 事象について、突いていく」と子供と話したことがあります。
人格を否定するのではなく、相手に対しての行動や言葉に対して「おかしくない?!」って文句を言うのは
もはやセーフか?!と、正当化したくなります。
人と違うこと、それについてどう思うか?
悪口を単なる悪口で済ませない。
そんな想いで、日々愚痴っている私であります。