以前ブログで「大量の(好きな)ものに溢れて悩みたい」と申しましたが
好きなものだったら、いつでもいくらでも、溺れたい想いはあります。
実際には日常生活とのバランスでそうもいかないものです。
話が少しずれますが
日常生活において、淡々と暮らす中での「あふれる情報」は必要ではありません。
情報が多すぎると、
知りすぎて不安になり、いらぬ心配をすることがよくあります。
次男を耳が詰まるとのことで耳鼻科に連れて行きました。
私も若い頃耳が聞こえなくなった経験がありましたので、のんびりと構えておりましたが
本人は病院の待合室でも不安で耳の病気を疑ってスマホを片手に調べていました。
「これじゃ、他の(精神的な)病気になる」と次男に伝えました。
これから診察なのに、他の情報を入れてどうするの?
調べてどうする?逆に不安になるだけ。
診てくださるお医者さまを信じればいいだけ。
案の定、詰まっていた耳垢を取ってあっけなく、終わりです。
外から見れば滑稽な話です。
でもこれがなかなか自分でも歯止めが効かないことがある。
折に触れて感じます。
日頃から意識していることですが
自分や目の前の事象を信じる。
情報に介入しすぎない。
ダメなときも想定し、覚悟を決める。
あとは、経験した周りの人やその道のプロに相談して納得する。
時に知らない方が幸せということもあります。
経験や年齢を重ねることによって培われる場合も多いので、
情報を見ないことや聞かないことで自信がつきます。
不安になるくらいだったら見ないほうがいい。
とは言え、調べてしまう気持ちもわかります。
心配を解消するのは、結局は画面の中だけでなく「人」である。と思います。