家族のやりたい事、応援している?
昨日、10/10(金)
東京上野
東京都美術館にて
鑑賞した。
混雑を予想して、朝9時半の開館時間より10分ほど早めに到着したが
すでに長蛇の列。
ゴッホといえば、
『耳に包帯をした自画像』や
夜の空が渦を巻いた『星月夜』や
黄色の色彩が特徴的な『ひまわり』も代表作。
皆が一度は見たことがある、ものだろう。
知らない人はいない?!
ゴッホ人気は健在。
実はゴッホ(1853-1890)の作品は生前全く売れていなかった(なんとたったの一点!)そうだ。
しかも彼自身27歳からスタートした、遅咲きの画家なのだ。
37歳で命を絶つまで、たったの10年。
ギュッと濃い画家人生。
精神的な病にも見舞われた。自らの耳を切った話はあまりにも有名。
しかし彼の代表作でもある、
日本に馴染みのある浮世絵、版画を油彩画へ翻訳、印象派への挑戦、
独特の感性で果敢に挑戦したゴッホである。
売れない画家として生活していたゴッホだが、
家族間で唯一の理解者、弟テオ。
弟テオとその嫁であるヨーのサポートがあったからこそ
ゴッホは画家として活動できた。
また義理の妹であるヨーは、
ゴッホの死、テオの死が続いた後、ゴッホの絵を売買した。
・・・・・
ヨーはもともと美術分野には素人であったが、しだいに近代美術、美術館や個人収集家の世界、美術取引の仕組みについて深い洞察力を身につけていった。ヨーと息子フィンセント・ヴィレム膨大な数のファン・ゴッホの油彩画や素画を相続した。ヨーにはこれらの作品を定期的に売却して安定した収入を得る必要もあったが、彼女にとって商業的な利益は第一の関心事ではなかった。ファン・ゴッホ作品に対する深い理解と、彼が近代美術の中心的人物であると言う確信をもつようになったヨーは、彼をその文脈で紹介したいと強く望むようになった。
・・・図録P158 「ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが売却した絵画」抜粋・・・・・
当時売れない画家だったゴッホを信じたのは、
血のつながっていない義理の妹だった。
先日モーリス・ユトリロ展を鑑賞した事を思い出した。
ユトリロは幼少期、私生児として育てられ、
ユトリロの描いた絵が一躍売れるとなると、
それまで彼に関わってこなかった母が若き夫と組んで彼をサポートした。
それには打算的な金欲が見え隠れする。
皮肉にも、ゴッホとの対比として「家族のあり方」を問うた時間だった。
一方でゴッホは生涯売れない画家でありながらも、
質素な暮らしをしながら周りには家族がいた。
彼の作品を世に広めるために、方々宣伝に尽力した。
ずっと彼の価値を信じ続けた結果であろう。
・・・・
身近なものとして
「将来画家になりたい」と子供が言ってきたら
どうする?反対する?応援する?
ミュージシャンやアーティストもそう。
世の中には、子供の純粋な気持ちに現実的でありながら反対する親も少なくはないだろう。
ゴッホは死ぬまで売れなかった。
でも描き続けた。
やりたい事をやらせる。
これがなかなか難しい。現実問題、お金のことだってある。
けれども、唯一の味方である、家族の信じる心が、
ゴッホの描く意欲を奮い立たせていたのでは、と想像する。
ゴッホが好んだ、労働者、田園風景、身近な人物の存在。
日々の暮らしを描く
地に足ついた生活こそ、生きる原動力になり得るだろう。