日曜日は片付けの手を休めて
ドラマ
を。
今回22話。
五郎たちが丸太小屋を作り始めた。
純と蛍は、山奥で山葡萄を集めて葡萄酒を作り、
五郎への誕生日のサプライズでプレゼントする予定だったが。。
山奥での熊出没未遂のハラハラシーンもあり、
美しい景色だけではない、
自然の厳しさや生きることの過酷さを警鐘するメッセージにもなっている。
まさに現代の暮らしこそ意識することかもしれない。
丸太小屋を建設中に、ふらっとこごみが訪れ、
五郎の仲間たちは皆、こごみが来たことで調子がおかしくなる。
中畑、五郎、こごみとの三角(いや他にもいる?)関係を連想させるシーンだ。
純は、こごみを前にデレデレする父五郎を見たくないのと、
水商売をしているこごみに対して偏見をもつ。
さらに誕生会に蛍に招かれた、こごみについても反対意見だ。
それを知った五郎が純に言葉をかける。
・・・・・・
五郎:
「こごみさんが飲み屋に勤めているから嫌だって考えは父さん許さん。
人にはそれぞれいろんな生き方がある。
それぞれがぞれぞれ。
一生懸命生きるために必死になって働いている。
人には上下の格なんてない。
職業にも格なんてない。そういう考えは父さん許さん」
・・・・・・・
こごみに対し「遊び」ほどほどに付き合えと、中畑が忠告するも
それにしても、こごみに対してまっすぐでピュアな五郎。
雪子から、令子からの手紙を渡されて車の中で読む、五郎。
そこには
恋人の吉野と一緒になったという内容とともに
子供達を思いながらも、2年半もの間、孤独な心境だったことを吐露する。
五郎と令子が、まだ夫婦だった頃、偶然にも
令子と吉野との不倫現場を見てしまった、五郎(と蛍)。
それからは何度令子が謝っても許せなかった。
現場を見てしまった蛍の気持ちも汲み
「母親としてどうなんだ」と五郎は令子に怒りがあったはずだ。
男手一つで子ども達を富良野まで連れ暮らしているわけなのだから。
「人を許せないなんて傲慢だ。そんな権利はない」と
五郎自身も令子と同ことをしていることに、気がつく。
正式に離婚したか、どうか。
というより、
父として(令子は母として)どうあるべきか。
苦悩と葛藤が伺える。
純には偏見は許せないと言いつつも
もしや、これも父として、母として「あるべき」という、偏見なのか。
そうは言っても
一方で、一人の男としての人間がいる。
不倫を肯定するわけでは無いが、
人を好きになるのに理由などない。
「子どもたちから尊敬される父親」と中畑から褒められるが
謙遜する五郎。
そんなことはない。と。
子どものことだけ、を考えれば、
例え令子との離婚が成立していても、
難しい年頃にさしかかる子ども達。
うつつを抜かし恋をしない方が「子どもたちにとっては」いいに決まっている。
揺れる五郎。
駒草に五郎がこごみに「誕生日の予定がなくなった」と断りを入れるために訪れる。
それを聞いてこごみは
予定が入っていたから「良かった」と強がる。
こごみもまた、令子と同じ“孤独な女”だ。
五郎は、こうも孤独な女が好きなのだろうか。
孤独は人を惹きつけるものなのか?
最後のシーンで
熊と中川が、五郎を探しに駒草まで呼びに来る。
二人に
「令子が急死した」と告げられ、動揺する、五郎。
これからどうなる?
次週、またお会いしよう。