作家の曾野綾子氏が
2/28老衰で亡くなった。93歳。
40代頃から曾野氏のエッセイを読みはじめ、
道徳観や自分の哲学を持つこと、
生きる上での「品性」について
大きな影響をいただいた。
いつものことだが、
大抵は購入した本は読んだらすぐにリサイクルで手放しているので
いくつかの曽野氏の本は手元にはなかった。
代わりに近所の図書館で曾野氏の本を3冊借りて読んだ。
曾野氏自身、作家というかたわら
敬虔(けいけん)なカトリック信者でもあり、
途上国の福祉活動にも尽力していた。
生きている世界が違う?
生存されていても雲の上のような存在ではあるが
他を知り、
自分にできることは何か?
を常に考えながら生きてこられた方なのだろう。
どのエッセイを読んでも、ここに到着点があると思う。いつも胸に響く。
厳しくも優しい言葉の数々。
表と裏、二つの側面から物事を見る鋭い視点。
深い洞察力に我が身を振り返り、そして内省する。
日本に住んでいる事が、もうすでに幸せなのだ。
日本国内の貧困や格差社会にも触れているが
著書によると、海外の貧困はその比ではない事が十分にわかる。
『人生の終わり方も自分流』
曾野 綾子 著
河出書房新書
P42・・・・・・・
(前略)
日本人にとって、全ての不幸はガラス越しなのだ。「かわいそうねぇ」と同情する方は、何の痛みも、寒さも、空腹も感じない。
私は幼稚園からキリスト教の学校に入れられたので、クリスマスというのは、半日、断食をするというき厳しい行事をする日だった。
日本の子供たちは、クリスマスにはサンタクロースや両親から何かをもらうものだと思っているが、私たちは、クリスマスには、自分の身辺の貧しい家族に何かを贈る日だと、外国人の修道女に教わった。それも自分の家に有り余っている何かをあげるのではなく、その日だけは、温かいスープを自分の家で飲むのはやめて、その中身を鍋ごと、近所の、貧しい家庭に届ける。或いは昔のことだから、家には暖炉があって、普段の日にはそこに赤々と薪を燃やしているのだが、クリスマスの日だけはそれをやめて、自分たちは寒い思いをし、その日焚く分の薪を、普段は凍えている家族に届けるのが、ほんとうのクリスマスだと習ったのである。
・・・本文より抜粋・・・・・・
対岸の火事にとどまらない。
クリスマス一つとっても考え方は大きく違うのだ。
そして明らかに
生き方までもが変わってくるはずである。
私は宗教を持たない人間だ。
これからも持つことは無いだろう。
だからこそ、
他者と自分との比較の中で
いかに自分を律し生きていくのか?
迷うことも多い。
道徳観をどのように培って生かしていくか?
曾野氏のメッセージで何度も救われた。
ご冥福をお祈りすると共に
今後著書を何度も読み返したいと思った。