成人の日。
晴れて
おめでとう。
我が家の次男も成人。
我が家では二人目の成人だ。
もう大人、とはいえ、毎日顔を見合わせているのだから
そうそう「はい、じゃあ今日から大人扱いするよ」とはならない。
今朝も
ベッドで寝ている次男を何度も起こしたり
『成人の集い』は何時からか?どうやっていくのか?
一回は帰ってくるのか?帰って飲み会に行くのだろう?とか。
我ながら、うるさいババアだ。
先ほども三男に別件で「うるさいなあ」と言われたばかり、だ。
だから息子たちは私に対して閉口してしまう。
ちゃんとした大人ってなんだろうか?
自分自身がまだ「ちゃんと」も「大人」にもなっていないのでは?と実は思っている。
大人の定義をすることがハードルが高く、難しい。
・分別ある行動
・責任感がある
・他者への思いやり
・経済的な自立
・時間を守る
など。など。
他にもありそうだが
大人になったからって、全て完璧にできるわけではない。と思っている。
とはいえ努力はする。が
恥ずかしながら50過ぎても、いまだ大人になりきれていないのだ。
次男は小学4年から高校3年まで野球をやっていた。
数えきれないくらいの試合
バッターボックスや守備に立つことも
ベンチを温めたりボールボーイも。
勝ち負けだけでなく
おそらく「嬉しい」よりも「悔しい」であろう経験を数知れずしているのだ。
高校野球3年最後の夏、敗退。
「いつかはどっかで負けるんだよ」
と次男は言った。
ここで次男の肩を持つ。
決して投げやりな態度や気持ちで言ったわけではない。
やるべきことはやった。
けれど、結果として「負け」てしまった。
ということだ。
負けを知っている人間は「強い」と我が子ながら思った。
特に野球、スポーツの世界は勝ち負け、結果が全て。
当然試合前は勝ちを掴みに行っているし、最初から負け根性でやっているわけではない。
勝ったら良い・負けたらダメ、なのか?
これは自分がいつも心の中で問うていることでもある。
誰しも
「(この相手に)とてもかなわない」という経験をしたことがあるはずだ。
悔しいけれどこれが現実だ。と。
歯が立たないような大きな相手や状況にどうやって立ち向かうか?
諦める。投げ出す。相手の傘下に入る。なんてこともあるだろう。
けれど時に、逃げないで「たたかわなければ」ならない状況だってあるはずだ。
そんな時は
とりあえずやってみる。
そして
やってから考える。っていうのもアリだと思った。
やる前から「できない」と決めつけたくない。
勝負の世界では
対戦相手のことを事前に調べて
「勝ちそう」「不利な状況だ」と決めつけることも少なくはない。
けれど試合開始から我々の想像が一転することだってある。
やってみなければわからない。
バッターボックスに立たなければヒットさえも打てない、のだ。
現在、次男は大学でアメフト部に在籍しているが
「自から好きで選んだ」スポーツに対して、以前よりも熱意が増した。
負けの悔しさ、チーム力を上げるためには?、後輩の育成、
などなど。私には考えられないほど
身体だけでなく頭もフル回転だろう。
大人になる必要条件は
私から伝えることではなさそうだ。
むしろ私が子どもから教えられているのかも知れない。