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2025.01.13晴れて【成人の日】祝いの言葉

 

成人の日。

晴れて

おめでとう。

 

 

我が家の次男も成人。

我が家では二人目の成人だ。

もう大人、とはいえ、毎日顔を見合わせているのだから

そうそう「はい、じゃあ今日から大人扱いするよ」とはならない。

 

 

今朝も

ベッドで寝ている次男を何度も起こしたり

『成人の集い』は何時からか?どうやっていくのか?

一回は帰ってくるのか?帰って飲み会に行くのだろう?とか。

 

 

我ながら、うるさいババアだ。

先ほども三男に別件で「うるさいなあ」と言われたばかり、だ。

だから息子たちは私に対して閉口してしまう。

 

 

 

1 ちゃんとした「大人」って?

 

ちゃんとした大人ってなんだろうか?

自分自身がまだ「ちゃんと」も「大人」にもなっていないのでは?と実は思っている。

大人の定義をすることがハードルが高く、難しい。

 

分別ある行動

・責任感がある

・他者への思いやり

・経済的な自立

・時間を守る

 

など。など。

 

他にもありそうだが

大人になったからって、全て完璧にできるわけではない。と思っている。

とはいえ努力はする。が

恥ずかしながら50過ぎても、いまだ大人になりきれていないのだ。

 

 

 

2 「負け」に目を向ける

 

次男は小学4年から高校3年まで野球をやっていた。

 

数えきれないくらいの試合

バッターボックスや守備に立つことも

ベンチを温めたりボールボーイも。

勝ち負けだけでなく

おそらく「嬉しい」よりも「悔しい」であろう経験を数知れずしているのだ。

 

高校野球3年最後の夏、敗退。

「いつかはどっかで負けるんだよ」

と次男は言った。

 

ここで次男の肩を持つ。

決して投げやりな態度や気持ちで言ったわけではない。

やるべきことはやった。

けれど、結果として「負け」てしまった。

ということだ。

 

負けを知っている人間は「強い」と我が子ながら思った。

 

特に野球、スポーツの世界は勝ち負け、結果が全て。

当然試合前は勝ちを掴みに行っているし、最初から負け根性でやっているわけではない。

 

勝ったら良い・負けたらダメ、なのか?

これは自分がいつも心の中で問うていることでもある。

 

 

 

3 できることより「やれること」を

 

誰しも

「(この相手に)とてもかなわない」という経験をしたことがあるはずだ。

悔しいけれどこれが現実だ。と。

 

歯が立たないような大きな相手や状況にどうやって立ち向かうか?

諦める。投げ出す。相手の傘下に入る。なんてこともあるだろう。

けれど時に、逃げないで「たたかわなければ」ならない状況だってあるはずだ。

 

そんな時は

 

とりあえずやってみる。

そして

やってから考える。っていうのもアリだと思った。

 

 

やる前から「できない」と決めつけたくない。

 

勝負の世界では

対戦相手のことを事前に調べて

「勝ちそう」「不利な状況だ」と決めつけることも少なくはない。

けれど試合開始から我々の想像が一転することだってある。

 

やってみなければわからない。

 

バッターボックスに立たなければヒットさえも打てない、のだ。

 

 

 

 

現在、次男は大学でアメフト部に在籍しているが

「自から好きで選んだ」スポーツに対して、以前よりも熱意が増した。

 

負けの悔しさ、チーム力を上げるためには?、後輩の育成、

などなど。私には考えられないほど

身体だけでなく頭もフル回転だろう。

 

 

大人になる必要条件は

私から伝えることではなさそうだ。

むしろ私が子どもから教えられているのかも知れない。