人の顔と名前が覚えられない。
先日、前から存じ上げている「はず」の、娘の友人のお父さんに
道端で挨拶をされ、一瞬とぼけた顔で失礼をしてしまった。
相手は「◯◯の父です」と、すかざす苦い笑顔でフォローしてくれた。
「・・ああっっ!!申し訳ございませんっ。いつも娘がお世話になっております」
とにかく、平謝りだ。
もう絶対に忘れまいと心に誓い、それから何度かその方に会うチャンスがあり、先日の無礼を笑顔で取り返そうと必死だ。
1度や2度ではない。
そもそも覚えよう、と言う気がないのである。
もうこれはどうしようもないこと、と割り切っている自分もいる。
あなたにもそんなことはないだろうか。
前置きが長くなってしまった。
話はガラッと変わり、約10年前、自身の書籍を世に出した。
雑誌/ESSEで「インテリア収納グランプリ」でグランプリを受賞したのち
当時ワニブックスの副編集長からお声がけをいただき、出版に至った。
その当時私は主婦ど真ん中。整理収納アドバイザーの資格取得したものの、娘がまだ2歳と手が離せないこともあって、活動といえば、投稿サイトに自宅収納を紹介したり、同じマンションのママ友の家を食事付きの無料で「モニター」になってもらい娘をおんぶしながら片付けた。
そんな自分が本を出すなんて、と夢の中も駆け足。怒涛の撮影取材が始まった。
スタッフのカメラマンさんが私を「先生」と呼ぶことに異様に抵抗し、「先生、じゃありません」とやたら拒んでいた。
今思うと名前で呼ぶことの方がリスクがある。かねうちさん?かなうちさん?間違えてはいけない。私と同じく名前を覚えるのが苦手なことだってあるだろう。
だから「先生」と呼び、こちらがフツーに反応すれば、お互いが自然なはずだ。
だが当時若輩者の私は「先生」と呼ばれることに、自信がなかった。
そんな経験をし、何年か後、
知り合いのママ友が「ネイルサロンを開業したい」と言うので
彼女の自宅でネイルをしてもらう、いわゆる「モニター」になった。
ネイルサロンはこれまで出向いたことがない。
結婚式にプランの一環として、手に塗ってもらって以来だ。
普段は全くと言ってほどしない。強いていえば、夏にサンダルを履くので期間限定で足にペディキュアを塗るくらいだ。
ごつごつとした丸みを帯びた「THE・お母さん」の手が、みるみるネイルによって変わるではないか。なんとなくワクワク嬉しい気分になる。塗ってもらうだけでなく、サロンで日常の会話を楽しむ人の気持ちもわかる。
最後に彼女に施術代として5000円を支払おうとしたら、彼女が拒んだ。
そんな経験もないし、まだもらえない。と。
私にとっては、彼女が初心者だろうがベテランだろうが、関係ない。
拒む彼女とのやりとりで
撮影の時「先生」と呼ばれることにやたら反応して拒んだ私を思い出した。
自信がないからお金をもらえない。
自信がないから先生と呼ばれることに抵抗がある。
それではダメ。
逆、なんだよ。
先生と呼ばれて、お金をもらって、初めてプロとしての自信がつくんだ。
受け取り上手になりなさい。
やり取りの後、半ば無理やり渡した5000円と共に、彼女にエールを贈った。
相手あって成り立つ、人間関係。仕事も然り。
名前(敬称)を呼んでもらうも、顔を覚えてもらうも、頑張って汗を流してお金をもらうことも
目の前の相手が喜んでくれるから。
相手の期待を素直にキャッチして、
こちらもお返しの球を投げよう。