
先日、実家に帰った。
ともに78歳、年老いた夫婦二人暮らし。
母は認知症が少し入っており、
“さっき言った”事をよく忘れる。
今日はそんな母と会話の中から
ふと子育てについて考えた。
実家には車で月に一回帰っている。
平日には毎日のように介護サービスは受けているが、
私たち夫婦が出来るのは
せいぜい顔を見に行って、食事や会話や電球を変えたりしている。

特に何かするわけではない。
いつものようにおしゃべりをした。
ついさっきの事はすぐに忘れるが、
昔の頃の記憶は鮮明に残っているようだ。
父と結婚した時の事、
私が産まれた時の事、
他界した姑との事、など。など。
この日も昔の話に花が咲いた。
私が幼少期を過ごしたのは、大阪府枚方市。
今から45年以上前、
自分が5歳頃の時期。
母だけでなく、私自身もうっすらと記憶がある。
母が言った
「いつも朋子は、近所のお姉ちゃんたちに連れられて公園に遊びに行った」
近所のお姉ちゃんとは、たまたま歳が近い友人たちだ。
「朋ちゃん借りていくね」
と母に言って、子供たちだけで公園に行った。

公園では、
知らない子も知っている子も
年齢が年上だろうが、年下だろうが、
女だからとか、男だからとか。
全くお構いなし。
初めて会った子でも仲間になる。
子供同士のコミュニケーションがあった。
そして子供なりのルールがあった。
いつも一番年下だった私には皆優しく接してくれた。
「この子(ちっちゃいから)ミソでいいよね」
鬼ごっこなどをする時に、大目に見てくれる“ミソ”制度があった。
大きな子に紛れ一緒に鬼ごっこをして楽しんだ記憶はまだある。
久しぶりに母から幼少期の話をされ、
自分を振り返るきっかけになった。
今ここに。
妙に納得した。
「ママ、大阪のおばちゃんみたい」
娘に言われた事がある。
「友達のお母さんとは違う」
とも。
ざっくばらんな性格が目立つ、と言うことらしい。
大阪には幼少期だけ住んでいても、影響はある。
今ではすっかり千葉県民だが。
当時、公園で仲間に入れてくれた記憶が
今になってもまだ身体が覚えている。

千葉で生まれ育った我が子たちは
子供たちだけで(ましてや5歳児を連れて)公園に行った事も無ければ、
親の監視下の元、同年代の顔見知りしか遊んでいなかったように思える。
今でこそ、学校や習い事などで知り合った歳が違う子、性別などもあまり気にしていない様子。
子供だけの世界を堪能していた、だろうか?
と少し考えた。
公園によっては
危ないからと、ボール遊び禁止。
近隣の迷惑になるからと、大声禁止。
園内邪魔なのか、ローラブレード禁止。
一体何のための公園なのだ?
子供たちにルールを教える事だけが先行し
家ではゲームばかり!と追い出され
結局、居場所の無い子供たちは公園でも集まってゲームやスマホ。
子供は子供らしく、なんて死語になりつつあるのか。
時代が変われば遊び方が変わるのは当然。
よその子だって、知らない子だって
悪さをしたら怖い顔で「ダメ!」と怒っていいのだ。
と、同時に
「我が子」と同じように想像力を引き出して
暖かい目で見守る事も大切だろう。
それが社会の大人の位置付けじゃないかな。
と思うこの頃だ。