
『北の国から』
シリーズ、スペシャル版を全て視聴した。
毎週日曜日にはレビューを仕上げてブログに投稿した。
昨日、全てのレビューが終わったが
しつこくも「まだまだ書き足りないんじゃないか」と思った。
それだけ、言葉にしたい気持ちがあった。
1981年から始まった45分のシリーズ、24話。
スペシャル版の83年冬、84夏、87初恋、89帰郷、92巣立ち、95秘密、98時代、02遺言
実に21年間のロングラン・ドラマ。
間違っても
このドラマは素晴らしいものだけを見せつけるドラマではない。
人間の脆弱さ、不完全さ、もはっきりと表現されている。
「お金」さえあれば幸せか?
確かに生きていくためには金は必要だ。

北の国からでは、金で解決できない時は?を問うている。
農家の暮らしについて、
地べた這って、汗水垂らして、天候の心配して
お金を稼ぐことがいかに大変か。
トラック運転手に渡した五郎が稼いだ泥のついたピン札がそこに集約されている。
いつだって
五郎は不屈の精神だ。
「金がなければ知恵だけが頼りだ。知恵とてめえの出せるパワーと」
「金がないから無理」思考停止していないだろうか?
シリーズ23話の中で、五郎の元妻・令子の葬儀の日、
令子の恋人・吉野から新しい靴を買ってもらう。
「こんな靴だとみっともない」と世間体を気にする吉野。
だがそのみっともないと言われた、ボロボロのスニーカーは
五郎の「安くて最高」のスニーカーとして、1年間子供たちの足を守ってくれた。
前後してスニーカーの一部が破け、縫っている五郎の姿がある。
そんな父親の気持ちをちゃんとわかっている純と蛍。
葬儀後、捨てられた古いスニーカーをゴミ置き場から探す子供たち。
吉野に知る由もないが
ボロボロだからと十分に使える物を
「簡単に捨ててしまう」ことへの罪悪感、いや怒りだろう、を感じ取れる。
ボロボロになったスニーカーを履き続ることの大切さを謳っているだけではない。

足元に転がっている物を、活かし切れているだろうか?
風力発電、水力発電、生ゴミ(捨てられたもの)を堆肥にし、
変わり者扱いされようが、たった一人で井戸を掘り当てる。
さらには拾い集めた石を積み重ね、廃材を集めて家まで作ってしまう。
お金をかけずに、自分たちの知恵と労働力を使って暮らしている。
最終章でも五郎は仲間たちと協力し、中畑の娘すみえたちの新居を建てる。
一人で建てているのではない。
周りを巻き込んで作っている。
時に初対面だろうが、相手が偉い先生だとしても「使う」
こき使うだけではない。きちんとその後お礼をする。
家に泊めたり、お茶お酒をふるまったり。お互い困ったら助ける。
そんな「手間返し」をしている。
そういう土壌で育った五郎たちの人柄が、関係を保っているのだろう。
労働力は労働力で返す。

時代錯誤だろうか。
ドラマを見ていて
「このシーンにスマホがあればトラブルに見舞われなくて済んだのに」と何度も思った。
テレビもない家で、労働力の一人として育てられた子供たちが不憫になったり、
子供が巣立ち、父親だけの暮らしに切なさで胸がキュッともなったが。
それでも、最後には五郎たちは幸せ(そう)な人生を送った。
「やるなら今しかねえ」
自分を奮い立たせるのは、自分しかいないのだ。