
今から30年前ほど。
フジテレビ系列
ドラマシリーズ『世にも奇妙な物語』での一話。
『整理癖』と言うタイトルで、
綺麗好きが起こす悲劇だ。
今になり何故かふと思い出した。
片付けを仕事としている私が、
鮮明に記憶に残っているとは何と皮肉なことか。
もしや、ここに書くためにあったのか。と思うほどだ。
頭の中の数少ないストック、を引っ張りだしてみた。
ストーリーは記憶が曖昧な部分もあるが、大筋はこうだ。
潔癖な一人の医師(主人公:渡辺裕之)
対するズボラな医師。
主に二人の医師が登場する。
主人公の医師は曲がったことが大嫌い。
同僚のズボラな医師に対していい加減な振る舞いに嫌悪感をむき出しにする。

ある日、主人公がカルテの整理整頓をする。
きちんと50音順にラベルを貼ったカルテ棚。
当然、棚の幅も統一されている。
してやったり。悦に入る主人公。
ところが、均一に分けられたスペースに、
ある日ズボラな医師が「ら」行に「あ」の苗字のカルテを入れてしまう。
「“ら”で始まるの日本人などそういない」から。と。
しかし、潔癖な医師はそれが許せない。
最後のシーンでは
観光バスに乗っていたツアー客が、病院に次々と搬送される。
名前を確認する主人公。
全て“あ”行から始まる名前ばかり。
当然“あ”行のスペースは一枠しかなく限られている。
狂気の沙汰になる、主人公。
そこで話は終わる。
このストーリーは
30年前、1991年オンエアだったので
私が片付けの「か」の字も意識していなかった当時だ。

ここで、このストーリーから
「整理(綺麗)好きがもたらす悲劇」について深掘りする。
共通認識として
整理する事で「使いやすく」「美しく」「無駄の無い」
空間ができる。
それは、5Sを推奨し効率化をはかる職場や、
また家庭でも往々にして“家族の仲が良く”なるために整理する。
けれども
過ぎたるは及ばざるが如し。
かの主人公のように、
人の命を救う医師である立場であるにも関わらず、人の命さえ「整理」したくなる。
ああ、恐ろしい。
これでは、本末転倒である。
これはドラマの世界なので、
当然フィクションとして扱うものだが
特にここ最近の社会への警鐘として示唆したものだと、
感じられずにはいられない。

なぜなら
現実社会でも、また片付けの現場でもある、場面だからだ。

家族の「使いにくさ」を放って、
自分だけの「美しさ」を求める。
他人には「雑」に扱い、
自分には「丁寧」に扱う。
「白」か「黒」か。
「要る」か「要らぬ」か。
「裁く」ことで正当化する。
とかく、決断が付きまとう、整理。
果たして
他の価値観まで「一刀両断」バッサリ切り捨てられるもの、なのだろうか?
何度か遭遇した違和感だ。
他人事とは思えぬ。
片付けが、整理が、収納が、高じれば高じるほど、
家族や他人や周りの人間への
じわじわと起こる距離の乖離。

「家族のためを思って」
本当だろうか?
原点にもう一度立ち返りたい私なのであった。